一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

決して古里宣伝隊ではないのだが…

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官軍墓地


私が住む熊本は、2度戦災に遭っている。

最初が明治10年西南戦争。2度目が太平洋戦争の空襲だ。被災した箇所はかなり重なっており、それゆえ、熊本の中心部には武家屋敷みたいな古い建造物はほぼない。ただ一部、熊本城から見て西南部は空襲に遭わなかった関係で、その辺りには西南戦争の直後にできた建物が結構あり、かろうじて城下町の香りを残していた。ところが熊本地震でこの町並みが大きく被災。歯が欠けるように、家々は解体され、今は空き地も多い。被災は3回目ということだ。近代に入り3回というの、驚くべき頻度ではないかと思う。

ところで、西南戦争の前年に、やはり熊本城下で神風連の乱が起こった。士族の反乱であることは西南戦争と一緒だが、この乱、極端なまでの神道信奉者らが廃刀令に不満を持って起こした反乱で、西南戦争に比べると特殊性が強く、なんとなくドラマになりにくい匂いが強いためか、一般市民で興味を示す人は残念ながら少ない。

先日、熊本駅の背後にある標高100メートルほどの花岡山を歩いている時、神風連の乱で亡くなった官軍の墓地に出くわした。そんな場所に官軍墓地があるなど、恥ずかしながら全く知らなかった。神風連の人々は熊本城の鎮台を襲撃、別の隊は土佐出身の県令を襲うなど乱の舞台は熊本城下全域に及び、確かに花岡山も戦闘が繰り広げられた。

それぞれの墓は高さ50センチほどの小さなもので、名前や所属隊などが書いてある。当時の鎮台は農家の次男三男が中心である。だから弥助、平八といった農民らしい名前が多く刻まれている。官軍墓地の横には、神風連に殺された安岡県令の墓もある。これは意外と大きいが、樹木の陰になったような場所にあり、ちょっと寂しい感じだ。

小春日和だったので、墓地は温かな日だまりになっていた。そう遠くない市街地から沸き上がるように聞こえてくる車の音が、師走を感じさせる。

郷土史家の人々の強い思いで整備された墓地であることが案内板に記されていた。テレビでは歴史をテーマにした番組も数多いが、そこで取り扱われるのは信長、秀吉、家康ら戦国の英雄や、龍馬ら幕末の志士たちの話が中心。以前と比べると、郷土史に関心がある人は減ってきているように思う。この墓地の半世紀後が心配だ。

 今年の大河ドラマ「いだてん」は前半部分で金栗四三が主役になり、熊本や熊本弁がだいぶ登場したものの、地元でさえ視聴率は低かった。残念だ。かなり面白かっただけに。ただ来年の「麒麟がくる」では近世細川家の始祖とされる細川幽斎が割と重要な役割を果たすことになりそう。細川家の「歴史的遺産」は熊本を語る時、欠かすことができない。だから期待している。

私は決して「古里大好き人間」でもなんでもないが、こうして書いていると、「古里宣伝隊」にでもなったかのようで、なんか尻の辺りがむずむずする。