こんにちは。旅するおやじ旅生です。
「数年に一度の寒波」らしい。熊本地方は日付が変わる頃からどんどん気温が下がり、正午過ぎには3度に。雪もちらほら。暖冬続きのここ数年にしては珍しい。という事でスランプ状態の俳句のネタにもなるだろうと、熊本城を散歩することにした。
午後2時の気温は2度。コロナの影響もあり、さすがに観光客は少ない。
上の写真は二の丸公園(天守閣がある本丸の西側)から撮影。ちょっと見にくいが、石垣の上にあった長塀は2016年春の熊本地震で倒壊している。
熊本城について簡単に説明しておこう。
現在の形の熊本城を造ったのは皆さんご存知の通り、加藤清正である。清正は尾張出身で豊臣秀吉の遠縁とされ、幼少の頃から秀吉のそば近くに仕えた。ぽっと出の秀吉は家臣を持たなかったから、清正のように尾張や近江で急遽かき集められた手下が多い。福島正則、石田三成らは清正の同僚になる。
秀吉の九州征伐の後、肥後には佐々成政が置かれるが、「国衆」と呼ばれる地生えの武将らを抑え込むことができず切腹。代わりに清正が大抜擢され、肥後の北半分を治めることになる。城造りの名手とされる清正がいつ、熊本城の築城にかかったか今ひとつはっきりしないが、1600年の関ヶ原の戦いの後、天守閣一帯はおおよそ現在の形になったと見られる。1632年の加藤家改易後に入国した細川家が引き続き、整備を行った。
ちなみに上の絵は幕末の頃の熊本城の姿を描いたものである。
当時はかなりの数の櫓があったが、天守閣を含むほとんどの建物が1877年の西南戦争で焼失している。何しろ当初の主戦場は熊本城だった。結局薩軍は撤退。西郷隆盛は「おいたちは清正どんに負けた」と言ったという話が有名だが、本当だろうか。
ちなみに現存している建造物は、天守閣のすぐ西側にある宇土櫓や東側の小さな櫓群など一部だ。絵の通り、全ての建造物が残っていたなら、世界遺産に指定されていたかも。まぁそれを言うなら、名古屋城、大坂城なども事情は同じだろうが。
天守閣は昭和35年に鉄筋コンクリートで復元。2000年頃から「本来の熊本城の姿を取り戻そう」と櫓などの復元が始まり、やがては本丸御殿までその姿を現した。築城400年祭の盛り上がりもあって観光客の数は年々増加。そんな中、熊本地震に襲われたわけである。
地震の後、しばらくは城の中に入れなかったが、現在は城内の復旧工事の様子を観光客に見てもらおうと専用の歩道が設けられている。
実はわたくし旅生、地震の後、この歩道を使って天守閣近くまで訪ねたのは今日が初めてだっった。
すごく気にはなっていた。何しろ城好き、歴史好きを自認する旅生なのだ。
ただ熊本地震からの復興を、熊本城の修復を通して象徴的に描き出す向きにかなり抵抗があり、足が遠のいていた。「熊本城は市民の心の拠り所だから」といった発想だろう。確かに分かりやすいし、反論をする論拠など何もないが、なんとなくなぁ。ほんと、なんとなく。ただのへそまがりかもしれない。いや、多分そうだろう。みんなが盛り上がると一人白けてしまう、困ったちゃんだ。やがて還暦なのに。
久々に近くで見上げる天守閣。「こんなにでかかったかな」というのが率直な感想。最上階から見る景色は最高で(特に西側がいい)、年に1回は必ず登っていたが、天守閣の中に入れるのはまだまだ先のことのようだ。
上の写真は現存する建造物の一つ宇土櫓。国指定重要文化財である。天守閣に比べると直線的で無骨な感じがする。櫓とはいえ、国内に現存する12の天守閣に引けを取らない大きさだ。旅生が子供の頃は非公開だったが、平成に入った頃から中を見学できるようになった。犬山城とか宇和島城あたりと同じ感じの規模。かなりの価値ありと個人的には推奨している。
ちなみに旅生が決めた国内の城郭ベスト10もどうぞ。
専用の歩道が本丸一帯を一巡できるように設置されている。ちなみに入場料500円。
まだまだ随所に被災したままの姿が見られる。何しろ国の特別史跡なので適当に修復したら文化庁から怒られるのだ。
歩道を下から見たらこんな感じ。なかなかダイナミックに張り巡らせている。
再び二の丸公園に戻る頃には、雪の振り方が激しくなった。風もかなり強く、体感温度は間違いなく氷点下である。2年前に行った青森・函館旅行の時を思い出す。夕方現在、屋根が真っ白になる程度(積雪?)の雪が降り、止んだ。確かに熊本では5年ぶりくらいのちゃんとした雪だ。
ちなみに青森・函館旅行の記事はこちら。
二の丸公園の隅っこには、崩壊した石垣が並べられている。文化財なので石垣はもともとあった場所に正確に戻さなくてはならない。だから一つ一つに場所を示す番号が貼り付けられている。これから地震前の資料写真などを使っての修復が待っている。実に気が遠くなるような作業なのである。
ちなみに石垣修復を含め、熊本城全体が地震前の状態になるまで20年近くかかるとされている。それまで旅生は生きているだろうか。