一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

おやじがエレカシ聞いちゃ悪いか

何回か書いたが、エレファントカシマシのファンだ。

昔からのファンというわけではない。つい2年ほど前から聴き始めた。まだまだ初心者なのである。

きっかけは2017年末の紅白歌合戦への出演。あの年末、私はインフルエンザにかかって、家族とは別の部屋に〝隔離〟され、することもなくひたすらテレビを見ていた。高熱のせいか感覚がいつもと違っていた。いわば「熱に浮かされた」状態になっていた。ステージで歌われる全ての曲がこれ以上にないくらい名曲に聞こえ、いちいち涙していた。

そしていよいよ、結成30年のエレカシがステージに上がった。エレカシについては何の予備知識もなし。リーダーの宮本浩次が一風変わった男であり、ラジオ番組でDJの女性アナウンサーと言い合いになったのを偶然耳にして以来、「変な野郎だな」と言う感覚はなおのこと強まった。そんな男が「紅白に出れて嬉しい」とあの興奮したしゃべり口でウッチャンや嵐の二宮に力説している。長かった髪もサラリーマンのように短い(後でPV用に切ったことを知る)。そして歌った「今宵の月のように」。「かっこよすぎる。なんでこんな素晴らしいバンドを聞かずに俺は生きてきたのか」とやたらと大袈裟な気分になり、また涙を流した。

熱が下がってもこの高揚感は消えず、ユーチューブで手当たり次第にエレカシの曲を聴いた。なんとなく耳にしたことのある「今宵の月のように」「悲しみの果て」「風に吹かれて」をはじめ、「桜の花、舞い上がる道を」「ズレてる方がいい」など初めて聞く曲も素晴らしくてたまらない。宮本が多くのミュージシャンや芸能人からリスペクトされている存在であることもネットで知った。

以来、2年間、初めて音楽にハマった中学生のようにエレカシ漬けの日々を送った。実際、これほど一生懸命に一つのバンドの演奏を聴きまくったのは中一の時にクイーンにハマって以来である。

何がいいのかー。宮本の歌声、歌詞、宮本の正直で嘘のない真摯な曲作り。特に歌詞は、宮本と私の世代があまり違わないので感覚がよく伝わる。「立派な大人になりたいな。確かな仕事をしとげたいもんだな」(地元の朝)、「うまくやってるつもりだろうが、全部バレちまってるぜご同輩」(穴があったら入りたい)、「おい俺、お前一体どこ行くの」(俺の道)、「町外れの部屋で人生はかなんだり、君を思ったりして生きている」(部屋)などなど。自虐的なまでに、自分を厳密に見つめ直す姿勢とでも言おうか。好きだなぁ、嘘っぽくなくて。エレカシの曲を聴くと、大学時代の東京を思い出す。思えば、私が大学時代を送った80年代半ば、エレカシはデビューこそしていなかったが、すでにバンド活動を始めていたのだ。

ところがこの2年間で気づいたことだが、エレカシの熱狂的なファンと言うのはあまり見かけないのだ。それがとても寂しい。ファンクラブに入れば、そんな人とも出会えるのだろうが、何しろ私、50代も後半に入ったおやじなので、さすがに気がひける。

昨年、エレカシの活動を綴った番組がWOWOWであり、その時、ライブの観客席で感無量の表情でステージを見つめる60代と思しきおやじが映し出されていた。もしかしたら涙さえ流していたかもしれない。30代、40代の人々に交じっているそのおやじに軽い違和感を感じたものの、好きなものはしょうがない。そのおやじがライブ会場に足を運んだ思い、痛いほどわかる。多分大冒険だったことだろう。永ちゃんのライブとかだったら、違和感なく見にいけるだろうし、サザンとか佐野元春も大丈夫かな。そう考えるとエレカシもOKかな。

先週末、WOWOWエレカシのライブ生放送があった。大阪のフェスティバルホール。「俺の道」で始まって、最後は「ファイティングマン」。約3時間、堪能させていただきました。宮本の声の調子も時間が経つに従って良くなった。

今回は旅の話ではなく、エレカシの話になってしまったが、実はエレカシの曲には旅にまつわるものが大変に多い。「旅」「旅立ちの朝」「夢を追う旅人」などなど。いずれもいい曲ばかり。不思議なことにエレカシの曲には「ハズレ」が極めて少ない。特に旅絡みの曲は名曲が多い。私は特に「旅立ちの朝」が好きで、「橋を渡り、山を越えて今」と言うフレーズは旅情を掻き立てる。

私が乗っているプリウスアルファは、音響設備がかなり高音質なので、ここぞとばかり、音量を大きくしてエレカシを聴いている。車外ではどれくらいの音量で聞こえるのか試してみたところ、ズンドコズンドコとまるでヤンキーの車みたいでちょっと驚いた。でもそれがなぜだか嬉しかった、50代おやじなのである。