どうも。旅するおやじ旅生です。
前々回に続いて若い頃の旅の思い出話をちょっとばかり。
時は80年代半ば。大学3年の旅生は夏休み、北海道を2週間ほど旅しました。ユースホステル、駅の庇の下、民宿のローテーションで。
モテない大学生の悲しさ
旅には出会いはつきもので、何かと期待する向きはあったのですが、モテない大学生というのはホントにモテないものです。チャンスにも恵まれません。一人旅しているのに女性と会話する機会さえ全くないのです。悲しいくらいに。
いかにも真面目そうなので、おばちゃんたちからは「いいねぇ学生さんは。学生の頃が一番いいよ」と声を掛けられ、お菓子をもらったりすることもありましたが。
だがしかし、旅生にもようやくチャンス到来!
忘れもしません、旅の中盤。道北の音威子府から浜頓別方面に向かう列車でした。なぜだかコンパートメント式。急行だったのかもしれません。
同室になったのは大学4年の女性2人組。たしか津田塾大か何かだったような。いい感じに綺麗で真面目そうでインテリな雰囲気でした。
この時とばかり旅生は話題を次々に提供。こちとら大学で「旅の会」というサークルに所属していた過去もあり、旅の知識は豊富です。旅の前半で積み重ねた北海道経験値も高まっています。
2人は話に関心を示し(ているように見えた)、コンパートメントの中は(旅生からすると)大いに盛り上がりました。
「礼文島には桃岩という全国に知られた名物ユースがある」とか「網走の駅の庇の下で寝たが、結構熟睡できた」とか、旅の知識をひけらかし、無意味に無頼派を気取るのです。
話は今後の旅のルートへと展開。よく聞くと帰りの青函連絡船が同じ便ではありませんか。
「やった! また会える」。旅生は顔には出さないものの狂喜乱舞。途中の駅で降りていく2人に「青函連絡船でまた会いましょう」と大人ぶって別れたもんです。
涙の青函連絡船
旅生はその後、浜頓別から稚内、礼文島、札幌と旅を続けたのですが、頭の中はひたすら帰りの青函連絡船のことばかり。もう景色とかどうでもいい、みたいな感じです。
そして数日後の函館駅。
旅生はドキドキしながら連絡船に並んでいる列を見ていると、いました、いました、あの2人。列車ではジーンズ姿でしたが、もう旅も終了モードに入っているせいか、スカート姿でした(なぜそこまで覚えてる)。
向こうも気付いてくれて軽く手を振っています。
ところが、ところが、であります。
あまりにドギマギし過ぎた旅生は素直に反応することができず、「あ、そういや、列車で一緒になった人たちですね。今思い出しました」みたいなしれっとした顔で遠くから軽く会釈。「先を急ぎますんで」みたいな顔をしてスルーしてしまったのです。
「俺は何というバカなんだ。バカだ、バカだ、バカ以外の何者でもない!」と数秒後、猛烈に後悔。ただ今更「とか何とか言っちゃって。ホントはすごく会いたかったで〜す!」などと引き返せるはずもなく、列の最後尾に並び(思えばかなり長い列でした)、自分を責め続けるばかりでした。
その2人の姿を連絡船の中で再び見掛けることはありませんでした。かなり混み合っていたのでしょう。
宮本の自虐的な歌はいい
旅生の半生、思い起こせば、こんなことが多かったな(と遠い目)。
要するに、ドギマギし過ぎ。それを隠そうとし過ぎ。もうホントウケる。
旅生が好きなエレファントカシマシに「穴が会ったら入りたい」という曲があります。比較的新しいアルバムに入った曲で、ちょっと自虐的でコミカルな曲。
「穴があったら入りたい。俺の人生なんだか。様になるやにゃ決まらねえ」「うまくやってるつもりだろうが全部ばれてるぜ御同輩。表通りだけが人生じゃないだろうが」。聞いてみてください。宮本の自虐が入った歌詞、とても好きです。やっぱ同世代だな。