一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

熊本の豪雨、これ以上降らないでほしい

悲しいことに熊本県南部の豪雨被害で多くの死者が出た。

前にも書いたがここ数年、以前からすると考えられないような死者数を出す水害が日本各地を襲い、その〝洗礼〟を受けないことには梅雨が開けない状態が続いている。

恐らくは地球温暖化により海水温が上がったことで、温暖化以前に比べてより多くの水蒸気が太平洋や東シナ海から日本に運ばれ、西日本各地の山々にぶつかって大量の雨を降らせているのだろう。ということは温暖化が止まらない以上、巨大化する水害は、毎年のように日本を襲うことになるのだ。

温暖化による気象変動がこれほど早く、目に見える形になるとは、30年前の私は考えもしなかった。まるでパニック映画の世界に毎年、日本人は怯えている。

記事で何度も書いたが、この春まで私はこの県南地域の拠点都市である八代市で暮らしていた。さらに20年ほど前には、県南の別の地域で過ごしたこともある。実はこの地で知り合った人が驚くことに、今回の災害で亡くなっていた。

新聞記事でその人の名前を見た時、驚きとともに失礼ながら懐かしさを感じてしまった。実に久しぶりにその人のことを思い出したからだ。

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その人は個性の強い人で、人付き合いが苦手な私は接するのを少し苦にしていた。

しかしその人は世話好きな一面があり、私があることで困っていた時に力を貸してくれたことがあった。個性が強い(いわば癖が強い)人だけに、「恩をしっかり形にしておこう。後でとやかく言われたらきつい」と思い、ビールを1ダース送った。

ところがそれ以来、その人は一切、私の前に姿を現さなくなった。「え、なんで?」と思いながらも、少しほっとしたのは事実である。そんな自分に、心の狭さや弱さ、社会を渡り歩く不器用さを、また一つ実感させられた。今思えば、その人は恐らく「そんなものをもらうためにやった親切ではない」と思ったのかもしれないし、気を遣ってばかりいる私を不憫に思い、距離をとったのかもしれない。

以来、一度もその人に会うことはなく、今回の災害のニュースで久しぶりにその名前を見ることになった。当然のことだが、辛い亡くなり方だったようだ。ただ、テレビのニュースではその人の愛すべきキャラクターをささやかながら紹介していた。冥福を祈りたい。

熊本地震に続く大きな災害に、「何を拠り所に生活すればいいのか」と不安定な思いにとらわれてしまう。「ダムに頼らない治水を」として川辺川ダムの建設が中止された経緯もあり、球磨川流域は他の地域以上に防災意識が高く、熊本地震以降はさらにその熱心さは高まっていたように思う。

現に、十数人の入所者が亡くなった球磨村の高齢者施設でも年数回、防災訓練をしていたという。今後、どんな防災を目指せばいいのか、皆が途方に暮れているのではないか。いや、被災地は今、それどころではないだろう。それもコロナ感染の恐怖に怯えながらである。

そんなことを思う時、さすがに無力感に苛まれる。

今も私が住む熊本市では強い雨が降っている。明後日まで大雨は続くという。神様が本当にいるのなら、これ以上の試練は与えないでほしい。