一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

退職の日が近づいている

どうも。旅するおやじ旅吉です。

退職の日が近づいています。

旅吉のイメージでは、退職前のおじさんは退職日の1ヶ月ほど前からあまり姿を見かけなくなり、最後の数日だけ片付けとか挨拶回りとかにやってきて、最後に花束とかもらって、記念写真を撮って、という感じです。

ところが、旅吉はいつもより少しだけ休みが多い程度で普通に仕事をしています。今の部署に来て1年目なのであまり予測できずにいましたが、この2月は予想以上に忙しい職場だったのです。

先日、後輩の一人(これまでほとんど話す機会がなかった後輩)がやってきて、「最後まで働くんですね。そんなものなんですか」と聞いてきました。いかにも自分の退職時の参考にでもするかのように。

「実はそんなものなんだよ。定年退職する○○さんも姿をよく見かけるだろ。担当している仕事にもよるけどね」と旅吉。ほんの数分の会話でしたが、縁の薄かった後輩と話せてちょっと嬉しかったです。

旅吉の場合、特別な日を前にしてもいつもと変わらないリズムを保とうとする行動パターンがあります。結婚式の前日も夜10時くらいまで残業して、「もう帰ったがよくないか」と言われた記憶があります。「特別な日を前にしても動じない男」を演出しているのかもしれません。今回も少しそんな感じがしないでもない。

ただ最後の日は退職の手続きを済ませたら、早々に職場を離れようと思います。午前中には事務手続きがあるので、その後パソコンなどを担当部署に返したら、午後2時には退社する予定。「あらら花束渡すつもりなのに、旅吉さん、もう帰っちゃったよ」ということになるのも覚悟の上で。早期退職の身なので定年退職の先輩方と同列に行動するのは、ちょっと気が引けます。

でも卑屈な行動に見えてしまう感じもする。いやいや卑屈な感情ではないんだよな。人とは一味違う、早期退職による「降りた」感覚。それを楽しみたいわけです。言い換えれば「最後の最後に手にできる自分だけのプチ自由」。

これまで定年退職者の涙を2度見たことがあります。感情が溢れ出し、挨拶がまともにできなくなるほどの涙。2回とも軽くショックを受けました。それはとても大事に、あるいは強い思い入れを持って会社生活を送ってきた人たちの証のように見えました。

もちろん旅吉も苦しみながらも誠実に会社生活を送ったと思います。でもそういう最後の場面をあえて捨て去ることにしたわけです。

さて会社を出て家に帰っても妻は仕事なので、誰もいないはずです。

ちょっと気になったので妻に「退職の日、俺に何かしてくれるの?」と聞いたら、「え、特になんもないよ。子供たちが小さかったりしたらパーティーみたいになるだろうけど、2人だけだし」と逆に驚いたような反応。

なんか複雑です。退職を特別視しないように自分を律しながらも、どこかで何かを期待しているような。まぁどうしても妻には甘えてしまう旅吉なのです。

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関係ないけど、九州国立博物館で公開中の渡来人の埴輪。