一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

聖徳太子の古墳があった

どうも。旅するおやじ旅吉です。

巨大前方後円墳が点在する古市古墳群を後に、奈良県と接する隣町の大阪府太子町を訪問。まだ3月上旬なのに20度を超す暖かさでした。

名前から分かる通り、聖徳太子墓所とされる円墳が町内の叡福寺にあります。この寺院は、法隆寺四天王寺と並ぶ太子信仰の拠点みたいです。恥ずかしながら初めて知りました。

聖徳太子の古墳?」と初めは違和感がありましたが、古墳の築造は奈良時代に入る頃まで続くので、特に問題なし。太子と母親、皇后の3人一緒の被葬といいます。

やはり宮内庁の管理下にあります。写真は前から、横から、後ろから、ぐるりと回り込んで撮りました。ちなみに明治頃まで参拝者は古墳の中に入れたそうです。いいなぁ。

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磯長(しなが)というこのエリアは、飛鳥と難波を結ぶ竹内街道沿いにある交通の要衝で、おまけに太子の外戚にあたる蘇我氏とゆかりのある場所とか。

なので蘇我氏と血縁が深い推古天皇敏達天皇の陵墓も近くにあります。六世紀半ばから大化の改新までの顔ぶれ。古市や百舌鳥に比べ、なぜこんな河内のどん詰まりに?と思いましたが、納得です。

それにしても、応神天皇にはじまる倭の五王たち(河内王朝とも呼ばれます)、そしてその後現れる蘇我氏、なんとなく渡来人の色合いの強い面々だなと感じます。勝手な想像ですが、渡来人そのものか、あるいはかなり大陸の血が濃い人々ではないかと。

古墳時代竹内街道沿いには、最先端の知識や技術を持った渡来人やまとめ役の豪族らがうごめいていたのではないか。そうイメージできそう。

ちなみに近くには大阪府立近つ飛鳥博物館。大阪で発掘された考古学資料がこれでもかというくらい展示されています。仁徳天皇陵の造営風景を描いたジオラマもあり、なかなかのもの。図書資料も多く、お薦めです。

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博物館裏手の傾斜地には、一須賀古墳群が広がっています。見る価値ありですが、息が切れました。梅が綺麗です。

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