一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

結局は一人旅が自分に合っている

考えてみると一人旅を始めて、40年程が過ぎてしまったことになる。

中学3年か高校1年の時に、南こうせつさんの実家がある大分市などを巡る日帰り旅が一番最初だったのではないだろうか。朝5時の始発に乗って、夜10時ごろ帰り着いた。もう40年以上前なのに、いくつものシーンを鮮やかに覚えている。

駅まで母親に送ってもらったこと。こうせつさんの実家がある豊肥線竹中駅」で降りたものの、結局は目的地に行き着かなかったこと。大分市の繁華街を歩いていたらゴダイゴの曲が流れていたこと。今では廃線となった宮原線の列車に載ったところ結構混んでいて、前の席に座った若い女性が自動車教習所の教科書を熱心に読んでいたこと。豊肥線の「内牧駅」で列車に載ろうと駅のホームにベンチに座っていたら、すごく星がきれいで、トランジスタラジオから中島みゆきの「ホームにて」(だったっけ?)がちょうど流れてきたこと。

それから、一人旅癖がつきはじめた。大学で「旅の会」というサークルに入ってからは、一気にヒートアップ。特に北国への興味が高まり、長期休みの度に、北海道や東北などを巡ったし、帰郷する際はわざわざ北陸方面に足を伸ばしたりもしたものだ。卒業旅行では1人でヨーロッパに行った。地球の歩き方が人気を博し始めたころで、パックではないと行けないと思っていた海外が、実は自由に動き回れるとしった時の驚きや開放感。ものすごく新鮮に感じたものだ。当時は東側だったハンガリーチェコスロバキアに行ったのが今でも自慢だが、あまり関心を示されたことはない。

社会人に入って、結婚してからは、家族との旅行も増えた(特に海外へはほぼすべて家族同行)。でも時折、一人旅出たくてたまらなくなり、短い期間旅に出る。「一人旅」などというと、70年代なら「かっこいい」で通ったが、バブル以降は「なんか暗い」でしかない。多様性が叫ばれる時代になったものの、実のところ、心の底はそう簡単に変わるものではない。だから今でも「おれは一人旅がたまらなく好きだ」なんて絶対に言わない。学生時代に「旅の会」に所属していたと書いたが、本気で参加していたのは音楽のサークルだった。音楽だったら声高に自己PRしても全く構わないのだろうが、どういうわけだかこちらを語ることはほぼない。あまりに一生懸命に取り組んでいたので、思い出話しとして簡単に言い放ったりすることに抵抗を感じているのだろう、と自己分析している。

結局は一人旅が一番性に合っているのだろう。

列車の中などで青春18切符を持って旅している一人旅の中高齢者を見るとなぜだか、同一視されたくない、という思いが働き、自分で自分にあきれる。もっと多様性を受け入れ、自分を認めるべきだろう。