一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

列車一人旅で豊後竹田へ

どうも。旅するおやじ旅生です。

久しぶりに、日帰りですが列車一人旅やってきました。

考えてみると何年ぶりだっただろうか。車であちこち巡るのは頻繁にやっていますが、列車で一人旅というのはもしかして3〜4年ぶりくらいなのかもしれません。

ルート紹介から。まずは往路。

新水前寺駅10時14分 → 肥後大津10時38分

肥後大津11時08分 → 宮地12時06分

宮地13時10分 → 豊後竹田13時52分

次に復路

豊後竹田16時27分 →(九州横断特急)→ 新水前寺18時18分

新水前寺駅肥後大津駅

文庫本2冊持って肥後大津行きの列車に乗り込み、新水前寺を出発。肥後大津までは電化区間なので九州内のあちこちで見かけるロングシートの銀色電車でした。熊本市を抜けるあたりから一気に車内はガラガラに。旅生は短い脚を思いっきり投げ出し、開放感いっぱいです。

列車からの風景は、自動車から見る景色と何か違った感じがします。あえて言うなら家々の裏の顔が見える感じ。建物は通常、道路に向かって表の顔を見せて、鉄道の方はあまり意識していませんよね。そのあたりが影響しているのかもしれません。

肥後大津で30分の待ち時間がありました。ホームのベンチに座ってぼーっとしてました。「非日常」という感じがたまりません。

ちなみに肥後大津の駅舎はかなり古いようで(駅が開設された大正3年建築?)、その横には新しいマンションも建っており、このミスマッチがアジアらしくていいですね。思えば、近代化遺産をそのままの形で今も利用しているのはJRが一番多いのかもしれません。特にJR九州内には古い駅舎や鉄橋、トンネルが目立ちます。ふだん無意識に見ていますが、台湾では日本統治時代の建物が今もいろんな形で大事に活用されていて驚きました。

肥後大津駅宮地駅

肥後大津からの列車は懐かしい感じのディーゼルカー。宮地までの区間は5年前の熊本地震で被災し、昨年ようやく復旧しました。特に被害が大きかったのは南阿蘇村の立野駅周辺。土砂崩れした山肌があちこちに見え、地震前とは雰囲気ががらっと変わってしまいました。

宮地駅では1時間の待ち時間があったので、駅前のレストランで赤牛丼なるものを食べました。20〜30年前は今ほど阿蘇の赤牛は注目されておらず、当時は黒牛が断然格上でした。畜産業の方々が「どぎゃんかせんといかん。赤牛はうまかっばってんなぁ(どうにかしないといけない。赤牛はうまいのだが)」と言われていたのを聞いた記憶があります。

しかし今や阿蘇の赤牛は熊本を代表するブランドに成長。ちなみに赤牛丼は1600円でした。味よし。でも結構いい値段。まぁそれだけ格が上がったということですね。

▼宮地~豊後竹田

宮地を出発し、豊後竹田へ。沿線はひたすら杉林。時々、草原も顔を出しますが、以前に比べると草原の面積が減っているようです。草原は野焼きなどの維持が大変なので、植林へと流れる傾向が強いと聞いたことがあります。せっかく赤牛が人気なのだから草原の復権、期待しています。

一両だけの列車はガラガラ。対面式のボックス型座席なので、靴を脱いでまたまた脚を投げ出します。そして司馬遼太郎の「街道をゆく 韓のくに紀行」を読みます。以前読んだ時はあまり興味を感じない一冊でしたが、最近古代史を乱読しているのでその延長線上で楽しんで読むことができました。

▼竹田の古い町並み散策

豊後竹田駅前には、中川家(漫才師ではありません、念のため)が領した岡藩7万石の城下町が広がっています。以前も書きましたが、豊後(ほぼ現在の大分県。もともとは大友領)を九州征伐後に豊臣秀吉が小さく分割。江戸時代に入っても小藩による構成は変わらず、岡藩7万石はその中でも最大の藩でした。

 

noaema1963.hatenablog.com

 

豊後竹田駅に着くと、かなり強い夕立。しばらくしてやみましたが、代わりに太陽がガンガン照りつけ、小さな盆地である竹田の町は暑さと湿気で蒸し風呂状態。ちょっと歩いただけで汗が流れ出し、体全体が湯だったような感じになりました。

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今回の列車旅で初めて知ったのですが、キリシタン大名大友宗麟の影響なのか、江戸時代には竹田の城下町にキリシタンが潜伏しており、藩主もお目こぼししていたのではないか、という説がここ数年、静かな話題を呼んでいるようです。

NPOが運営する資料館もありましたが、この日は残念ながら休館。近くの酒蔵を改造したホールには、キリスト教東方教会(主にビザンチン帝国より東側の教会)に飾られているイコン画の複製が何百枚と並んでいます。受付の女性が一生懸命に説明してくれました。

この女性の勧めで崖に掘られたキリシタンの礼拝堂へ。

資料館から歩いて15分ほど、武家屋敷のすぐ裏手にありました。蒸し暑さですでにクラクラ。高千穂の天安河原に似た感じで、厳かな空気に包まれていました。

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その後、あまりの暑さに市立図書館へ。この図書館、最高でした。座りやすい椅子、静かに流れる音楽、建物も新しく、もし自分が竹田市民だったら毎日でもやってくることでしょう。しばらく重松清の「定年ゴジラ」を読んで、「あー、自分もそろそろこの人たちと同じになるんだ」とか思いながら、列車の時間が近づいて来たので、また汗びっしょりになりながら駅へ。

▼豊後高田〜新水前寺

やはり特急列車は最高です。エアコンもいい具合に効いてるし、揺れも少ない。汗臭い通学生が乗り込んで来ることもない。鈍行列車もいいですが、この年になると乗り心地を追求してしまう部分、正直あります。

県境を越え、分水嶺を過ぎると列車は下る一方。熊本平野が遠くに見え始めた頃には、日もだいぶ傾いてきました。