一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

薩摩士族の蛮勇に励まされる南洲墓地

一時期、鹿児島を頻繁に訪ねた時期があった。

40代の前半だった。新しい職場に移り、1年以上が経っていたのだが、どうしても職場の空気に馴染めず、空回りをしては落ち込むことの繰り返しだった。その頃、手にしたのが司馬遼太郎の「翔ぶが如く」だった。西郷隆盛大久保利通を中心に、明治という新時代を切り開き、あるいは翻弄された薩摩士族たちを淡々と描いている。小説というよりドキュメンタリーに近いのかもしれない。そこには血気盛んな薩摩士族の生き様や死に様が見事に描写されている。「死ぬとが怖かっですか」。何度となく出てくるこの言葉が彼らの哲学を如実に表現していた。「臆病」と見られることを彼らはもっとも忌み嫌ったという。

この作品は、「竜馬がゆく」など他の司馬作品に比べ、盛り上がりに欠けると見る向きもあり、司馬作品ランキングで言えばそう上にあるわけではないが、私からするとナンバーワンである。無理矢理に筆の勢いで人間像を描き上げず、事実の描写の積み重ねで薩摩の群像を表現している。それゆえ、薩摩ならではの原始的とも言える蛮勇ぶりが新鮮に胸に響いた。薩摩士族の蛮勇を心で温めることで、周りの景色が一気に明るくなった。落ち込むことがあっても、「臆病風に吹かれとっとか」「死ぬとが怖かっか」と自問すると、不思議と気持ちに張りができた。

文学が現実の自分に影響を与えたのは、この時が初めてだった。

司馬作品はそれまでも読んではいたが、なんとなく底が浅いと思い込んでいた。だから、「俺も司馬作品に影響されるただのおっさんか」と自嘲する思いもあった。ただ人生が好転するきっかけを与えてくれたわけであり、そんな思いは封印した。

鹿児島を何度も訪れたのはこの頃だ。

特に南洲墓地には心を動かされた。西南戦争で亡くなった薩摩士族らの墓地だ。中央に西郷の墓。両脇には桐野利秋村田新八の墓が並ぶ。高台にあるこの墓地の全ての墓は、桜島に向かって立っている。桜島が驚くほど大きく鮮やかに見え、鹿児島港を出発する船の汽笛が、これも驚くほど鮮明に響いてくる。

これまで何度も鹿児島を訪れたが、この墓地は必ず訪ねている。40代前半の頃の感動はさすがに薄れてしまい、薩摩士族への熱もすっかりなりを潜めたが、それでもこの墓地は私にとって今も大事な場所である。どうしようもない屈託に心が沈んだ時、南洲墓地に行きたくなる。「臆病風に吹かれとっとじゃなかでしょうな」。そこに行けば、蛮勇をふるった末に死んでいった薩摩士族らから、背中を叩かれそうな気がするのだ。