一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

私は民宿が苦手である

文豪夏目漱石が熊本の第五高等学校に赴任していた当時、年末年始になるとどこかへ旅に出たらしい。家にいると教え子たちがやってきて大いに飲み食いするものだから、ゆっくりできないのが理由だった。ちなみに漱石は五高教師時代、新婚旅行で福岡方面の神社仏閣を巡ったり、修学旅行で天草・雲仙島原方面を回ったり、そのころの日本人にしてはあちこちに旅している。ちなみに修学旅行といっても半ば軍事演習だったようで、各地で町の顔役たちに歓迎されたりもしており、明治半ばの時代相がよく分かる。漱石は五高教師の後はイギリスに国費留学しているわけで、本人の意志とは関係なく、旅の多い人生だったようだ。その中から「草枕」「二百十日」など旅を題材にした小説が生まれている。

我が家には年末年始にだれかが来るわけではないが、1人の娘は東京に嫁いだばかりで今回は帰郷する予定もなさそうだし、もう1人のやはり旅好きの娘はどこか近場の海外に出向く計画をたてている。

両親は親戚がいる徳島県を訪ねるらしい。言わば、だれもいない年末年始になりそうなのだ。

妻と2人、「それなら2人でどこか行くしかない」という話になった。さてどこに行ったものやらなのであるが、今ひとつ浮かばない。やたら出掛けるても渋滞と満杯のホテルが待っているだけである。個人的には奄美大島とか五島列島とか、まだ行ったことのない渋い離島にそそられているが、おそらく妻は反対するであろう。せめて種子島屋久島でもいい。特に屋久島などは小学生だった長女を連れていって以来、やがて20年近く脚を踏み入れていない。

その時の屋久島旅行では、珍しく民宿に泊まったのだが、私はあの「知らない人たちと闊達に旅について話し合う」のが大変苦手である。大学時代に北海道旅行をした時、まだまだ人気だったユースホステルも使ったものの、「心開いて楽しもうよ。心開いてなんぼのもん」みたいな感じについていけなかった。ギターを抱えたヘルパーがいきなり駆け込んできて、「ミーティングの時間だよ~」と70年代フォークをがなりはじめた時は、あっけにとられた。そもそもミーティングで何を話し合っていたのか記憶はないが、たぶんたいしたことを話してなかったと思う。どこのユースも「開放区」を気取っていたような気がする。以来、ユースや民宿に泊まるのは極力避けてきた。

ただ、もういい年齢である。そんないろんな思い出をかみしめながら、再度、民宿に挑戦してみるのもいいかもしれない。「私もだいぶあちこち旅してきましてねぇ」などと通ぶって語れたら、それはそれですごく楽しいだろうけど。でも絶対にあり得ない。無い物ねだりはやめにしよう。いい年齢なんだから。