一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

寂れた商店街になぜか惹かれる

人口が5万人から10万人の都市にありがちな寂れたアーケード街になぜだかとても惹かれてしまう。一体なんなのだろう。あちこちに設置されたスピーカーから流行りの音楽など流れていると嬉しい。今なら「パプリカ」だろうか。

私が見てきた限りでいうと、寂れた商店街は瀬戸内海沿岸の都市に多いように思う。いわば地方の沿岸工業都市。特に山口県には数多く点在している。防府市にあるアーケード街はほど良い寂れ方だった。訪ねたのはちょうどゴールデンウィークで、初夏の爽やかな風がアーケード街を吹き抜けていた。しかしほとんど人はいなかった。爽やかさと寂しさの取り合わせが妙に良くて、印象に残った。近くの病院から抜け出してきたのだろうか、車椅子の青年がポツンと一人いた。先日初めて訪ねた宇部市にもアーケード街があったが、これは「絶妙なる寂れ」のピークをかなり過ぎてしまっていたようで、ちょっと悲壮感があった。

周南市徳山駅前にも絶妙な感じのアーケード街があった。冬の日曜日、午後4時ごろ。シャッターがしまった店々に挟まれた一軒の古い喫茶店に入った。昭和半ばから続いているのではないか。床に塗られたニスや石油ストーブの匂い。テレビでは再放送の「新婚さんいらっしゃい」が流れ、桂三枝山瀬まみがものすごく体格のいい奥さんと逆にすごく小柄のご主人を、さも楽しそうにいじるのを、店のおばさんが熱心に見ている。コーヒーはとてもまずかった。冬の夕暮れ時、シャッター商店街はさすがに憂鬱にさせる。

あちこちの寂れた商店街を見ているうちに、結果的に定点観測してしまった場所もある。佐賀市の商店街だ。長崎街道の古い町並みに近い、結構賑やかなアーケード街だった。東京の私鉄沿線でよく見かける商店街に似た雰囲気だった。最初に行ったのは1990年代の半ばだった。2000年代のはじめ再度訪ねると、アーケードを外してあった。それでもまだ商店街らしさを保っていた。そして2年前に行って見たら、もう商店街ではなく住宅街の裏道になっていた。初めてあそこを訪ねた人は、そこが以前はアーケード街だったことに果たして気付くだろうか。アーケードを取り外したのが「ルビコン川を渡る」行為だったのではないかと思う。わずか30年足らずの間に、商店街が完全に消滅したのである。栄枯盛衰などという言葉では表現できない残酷さがあった。

ある行政マンが話していたのが、「寂れた商店街が小売りで復活した例を見たことがない」。その通りだろう。新しい何かが必要なのだ。シャッター商店街の悲哀に魅力を感じている自分には、あまり語る資格はないのかもしれないが。