一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

北京への旅を断念するも、驚くほどの欠落感

1月下旬、北京を訪ねる予定だったが、出発当日、福岡空港に到着した段階でキャンセルした。新型コロナウイルスの感染が武漢から中国全土、さらには日本、タイなどアジア各地に飛び火し始めたからである。

これまでの旅人生でキャンセルしたのはこれが初めて。想像以上の「欠落感」に襲われ、しばらく意気消沈した。

現地の地理まであらかた頭に入れ、地下鉄の乗り方、紫禁城でのチケットの買い方までイメージトレーニングを済ませ、妻は「これはいくらですか」などと現地の漢字で書いた紙を数枚準備していた。そして荷物を完全にパッキングしていた。

完全なフリーツアーだった。予約をしたのはまだ発病確認前の12月中旬。1月25日から春節なので多少混雑するだろうことは覚悟していたが、それを見るのも面白いのではないかと思っていた。

年明けからぼちぼち感染のニュースが流れ出した。それでも「北京から数百キロ離れた場所だから何も問題ないだろう」と気にもしていなかった。ところが出発1週間ほど前から報道の量が日を追うごとに増加。同僚や身内も「こんな時に行って大丈夫なのか?」と心配し始めたが、その段階でもキャンセルなどかけらも考えていなかった。

「キャンセル」が初めて頭をよぎったのは、出発前日の夜だった。

ネットで情報を確認すると、加速度的に感染が拡大していることが改めて分かった。北京でも感染者が確認された。外務省のHPでは「武漢から入国した人で体調が悪い人は医療機関に報告を」といった程度だったが(その後、「注意レベル1 十分注意してください」というのが出た)、中国からの情報があやふやなのでこう書かざるを得ないのだろうことは容易に想像できた。

不安で憂鬱な気分が、もこもこと湧き出した。黄色信号がともり始めた感じ。

「感染力は今のところSARSなどより弱い」「数十億人住んでいる国のほんの一部の人々にしか感染していない」「過剰に心配するのは避けたがいい、という医師の声もある」と考えた反面、「春節で数億人の大移動がある。観光地は首都圏の駅のような混雑になるらしい」「デモ等であれば、その場を避ければいいが、ウイルス感染は避けようがない」「帰国後、ちょっとした体調の変化に周囲も自分も『もしかしたら』とびびりまくるのではないか」等々、最終的な準備をしながら悩みに悩む。

明けて当日朝、なぜだか「大丈夫、やはり行こう」という気持ちが強まり(旅に関しては驚くほど前向き)、妻と話し合って「空港に着くまでに最終的な決断をしよう」と結論を先送りにした。

空港まではいつも車だ。旅の出発日はいつでも、夢が最大値まで膨らむ。行ったことのない海外の地を目指す時は、なおさらである。もちろんこの日もそうで、空港が近くにつれ、「キャンセルする」という思いはほぼ消えていた。

そこにかかってきた一本の電話。こういう時の電話は得てしてネガティブなものだ。年老いた父親からだった。この男、信じられないほどの生命力と野生の勘を持ち合わせている。出発日時など教えていなかったのになぜこのタイミングで。「行かないがいい。結局は自分たちが苦しむことになるぞ」と父親は言い張る。妙に説得力があり、私の心に前夜感じていた不安が強度を増して再来。黄色信号が赤信号に変わりつつあることを感じた。「とりあえず空港まで行って考える」と返して切った。

迷いに迷った。最終判断を引き延ばしてきたものの、やはり空港を目の前にしてのキャンセルはなかなかできないものだ。念のため、助手席の妻にキャンセル料について旅行会社に確認してもらう。支払額の三分の一が返ってくるという。微妙だ。実に微妙。

とうとう出発ターミナル前に着いた。駐車場に入れるとしたら決断後だ。

ハンドルに頭を突っ伏して考え込んだ。「行きたくてたまらない。でも確かに怖い」。いろんなことが頭に浮かぶ。判断材料になることならないこと。そして「キャンセルしよう」。絞り出すように、これまでの人生では考えられない判断を下した。後で妻に聞くと「絶対キャンセルしようとは言わないと思っていた」らしい。

キャンセルの判断をした直後は、「すっきりした。これで良かった」と思ったが、1時間もするとここ数年経験したことがない「欠落感」が襲ってきた。ぽっかり心に穴が空いた感じだ。うまく言えないが、「どこにもいたくない」ような、目標を一気に見失った感じ。空港カウンターに預けるばかりの荷物を見るのが結構辛い。「金はかかるがこのままどこか行こう。自宅に帰る気になれない」。気持ちを入れ替えて山口方面を目指すものの、何もかもが色あせて見えて気分が乗らず、関門海峡を渡った段階で自宅に引き返した。

ただその後、感染がさらに拡大しているニュースがどんどん流れている。今日の新聞の一面トップもこのニュース。ようやく「キャンセルは間違ってなかった。行ったとしても不安な気持ちを抱えるばかりで、楽しくはなかったはずだ」という思いが強まってきた。

しかしこんなことがあるものなんだなぁ。

旅行にかける自分の思いがいかに強いか思い知った。だから空港まで来てキャンセルを決定するのはやめたがいい。ストレスがかかりすぎる。

そして、考えに考えた末の決定はあまり間違った結果にはならないな、というのも実感した。しばらくは落胆の思いをどこにも持って来ようがなくて、「父親のあの電話さえなければ、旅行を決行していたのに」とまで思ったが、いやいや、やはり年寄りの意見は尊重しなくてはいかんな、と少しずつ思い始めている。かくいう私ももういい歳なのだが‥。