村上春樹の新作短編集「一人称単数」を読んでいる。
その2番目に収められている「クリーム」がなかなか良かった。というかまだ、この作品までしか読んでいないのだが。
神戸の高台にある住宅街を訳あって訪ねた浪人生に、白髪の老人が突然話し掛ける。
「中心がいくつもある円や」。浪人生は戸惑い茫然とする。
「中心がいくつもあってやな、いや、ときとして無数にあってやな、しかも外周を持たない円のことや」「そういう円を、君は思い浮かべられるか?」
「ええか、きみは自分ひとりだけの力で想像せなならん。しっかりと智恵をしぼって思い浮かべるのや」
村上春樹ならではの比喩が禅問答のように作品に埋め込まれていて、「お、来たな」という感じ。村上作品に登場する比喩は、自分なりに解釈すればベストではあるが、解釈しきれず「モヤモヤとした感覚」のまま読み進んでいくのも、作者の罠に囚われた感じがして面白い。
今回は前者だった。「中心が無数にあり、外周を持たない円」というのは30歳を過ぎた頃から、職場でも家庭でもかなりしばしば意識することが多くなった気がする。大袈裟に言えば、この図式をイメージしたり、実践していくことができて初めて、いっぱしの社会人になれるように思う。
この感覚は人によっては子供の頃から持っているし(いわゆるしっかりした人)、幾つになっても理解できない人もいる。
神戸の高級住宅街にある四阿(あずまや)で、老人はさらに続ける。
「きみの頭はな、むずかしいことを考えるためにある。わからんことをなんとかわかるようにするためにある」
老人の言葉、心に響く。
ちなみに老人は、主人公の浪人生が過呼吸で苦しんでいる場面で登場する。
思えば、高校生から大学生の頃というのは、大人のようでいてまだまだ子供である。いろんな精神的な負の荷物を抱えて、誰にも言えず、人知れず苦しんでいたりする。本人からすると「自分は大人だ」という感覚があるから、よっぽどのことがない限り、親に相談することはない。それが大きな落とし穴だったりもする。
この作品の主人公は赤面症や過呼吸などの症状で苦しんでいたようだが、歳を追うごとに、そういった症状は軽減したようである。
かくいう私もこうした若い頃にかかりがちな精神面の症状に相当苦しめられてきたが、いまだにその残滓に悩まされている。おそらく「晴れ渡った空」のような全快を見ることはないのだろうとほぼ諦めている。
それにしてもやはり村上春樹はいい。「一人称単数」、じっくりと読み進めたい。