一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

羊蹄山は北の桜島のようだ

旅吉です。

洞爺湖畔から羊蹄山の麓の町である留寿都喜茂別を通り、中山峠を通って札幌に入った。実に北海道らしい景色が続いた。

ずっと羊蹄山が見えていた。存在感が鹿児島の桜島に似てる。

洞爺湖もなかなかのものでした。洞爺湖サミットの記念館もあったので見学。「もしやプーチンも来たのか?」と写真を確認すると、当時はメドベージェフでした。

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洞爺湖はいくつも展望台がある。カルデラ湖ならではだ。
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展望台の一つでは、今ごろ八重桜が満開だった。カフェの女性によると「ここは寒いのでいつもこの時期なんです」とか。
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北海道らしさを醸し出しているのは、たぶん植生ではないか。カラマツ、シラカバ、ジャガイモ畑‥。
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上陸2日目にして腰痛が悪化。だましだまし行くしかない。

薬を買いにツルハドラッグへ。若くて感じのいい女性店員が熱心に説明してくれた。会計の時、「ポイントカード作りましょうか」と聞かれたので「いや、旅行で来ているので。私が住んでいる所にはこのお店ないんです」と旅人らしさを演出。するとその女性は気の毒がって自分のものらしい鎮痛剤を何錠かくれた。若かったら恋が芽生えていたかも。いいなぁ北海道。

ちなみに後で調べたら、熊本にもツルハドラッグありました。それも数店舗。これからはツルハドラッグでなんでも買うようにしよう。

今日は初日より気温が上がり20度くらいだったが、あすは札幌で25度らしい。地元ニュースで盛んに流していた。

ちなみに紋別市でヒグマの目撃相次ぐというニュースも。この前も道北の朱鞠内湖で釣り人が襲われて亡くなっている。

ちょっとした散策道を歩くのにも、そこらにヒグマが潜んでいるようで怖い。北海道民が聞いたら笑うだろうな。

湖に興味がなかった旅吉だが

旅するおやじ旅吉です。

北海道初日。旅吉は今回「自分を裏切るルート」で旅を進めることにした。簡単に言えば「最初に浮かんだルートではなく、その反対方向に行く」というもの。

ちなみに当初は札幌方面に向かい、開拓史を学べる場に行こうかとした。

しかしそれでは何も変わらん。いかにも学び好きな還暦おやじだ。もちろんそれも悪くはない。ただ物足りない。一人旅が陥りやすいところである。

この前、20年ぶりに会った後輩が言った。「せっかく早期退職したんだから、もっと爆発的に変わったがよくないですか」。確かに。痛い所つかれた。

で、これまで全く興味がなかった洞爺湖などの湖を巡ることに。しかし思えばささやかな挑戦である。

とは言いながら、素晴らしかった。なぜこれまで黙殺していたのか。やっぱ北海道は湖でしょ。そう強く思った。

朝から道の駅のすぐ横にあるウトナイ湖を散策。湖とはいえ海抜3メートルの湿地と説明したが分かりやすいかも。渡り鳥の中継地として有名らしい。

空の色が北国だ。こんな空、熊本なら12月くらいにしか見れない。

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次が白老町にあるポロト湖。「熊出没注意」とあるが、どう注意すべきか九州人には分からない。ちなみにすぐ横にアイヌの大規模な博物館が2年前に完成していた。
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その後、登別温泉。ここは前から来たかった。酸性の白濁した湯が強いこと。目がしみてしみて。あの手の湯は九州なら雲仙と別府でしかお目にかかれない。ここまで強烈ではないが。

温泉街のセイコーマートで弁当など買って車中飯。このコンビニチェーンは最近NHKの「72時間」などで出て、かなり有名になった。今回の旅ではだいぶお世話になりそう。
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登別温泉の背後では盛んなる火山活動を見ることができる。九州も火山活動の盛んなことで知られるが、ちょっとレベルが違います。

その先にはカルデラ湖である俱多楽湖。この日初めて知った小さな湖だけど、見事なまでの美しさ。車で来た人は是非とも行ってみるべし。観光客はほとんどいない。
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そして室蘭へ。地球岬。すごいよ。ここも騙されたと思って行ってほしい。岬のすぐ近くまで市街地というのも面白い。正直、襟裳岬よりインパクト強いかも。

天気にも恵まれたので、渡島半島内之浦湾がきれいに見渡せた。普段の善行ゆえだろう。昨日に続きキタキツネをまた目撃した。

でも駐車場の一角で、岬のテーマソング?を大音量で延々と流されるのには辟易した。あれはやめたがいい。
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洞爺湖には夕方遅くに到着。あすゆっくり散策したい。熊に注意しながら。
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北の国にとうとう上陸!

旅するおやじ旅吉です。

20時間あまりの船旅を終え、無事、北海道の苫小牧東港に上陸した。こんなに長く船に乗ったのは初めて。でも快適だった。あまり混み合いもせず、静かで。

高齢の夫婦が多かったな。旅吉はいつも通り一人旅だが、そのあたりはほぼ気にならない。

それにしても黄砂の影響で目の前の海しか見えず残念。本来であれば佐渡島や東北の海岸線が見えたはずなのに。

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それでも津軽海峡を横断中、函館山をはじめ渡島半島の山並みは堪能できました。
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夜8時半、苫小牧東港は気温10度を下回っていた。早速長袖に着替える。北の国に来たんだと実感。

近くの道の駅に行く途中、キタキツネを見掛ける。以前はこんなに簡単には見れなかったのでは? 旅吉は「キタキツネ物語」の世代なので、そのあたり敏感。でもヒグマに遭遇ーなんてことは避けたい。
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船を下りて、記念に一枚パチリ。

長い船旅ではあったけど、同世代の作家である白石一文の小説を一冊読めたし(文庫本なんて読んでる人はほぼいないことを再確認。みなスマホいじってる)、風呂にも2回入ったし、腰痛も少し軽減した。

新日本海フェリー、ありがとう。そのうちにまた!

それにしても北海道はやはり寒い。熊本の3月の気温である。さあ明日どこ行こか。

そして敦賀へ

旅するおやじ旅吉です。

朝4時起きなのでひどく睡眠不足。おまけに腰痛。「それならどこかででゆっくり寝てれば」という話なのだろうが、結局あちこち観光してしまう。なにしろ文化財の宝庫である関西。スルーできないのである。

大阪南港唐割と近い住吉大社へ。早朝6時の空気は清々しい。

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本殿は国宝。江戸後期の建築らしい。なにしろ古墳時代からの歴史があるので、建築様式は古代に倣っているのだろう。

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大社の前を天王寺行きの路面電車。風情あり。
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北へ急ぐ。まあ、夜までに敦賀に着けばいいので楽勝ではあるが。

滋賀県大津市三井寺に参拝。15年ぶりくらい。国宝の金堂の巨大さに圧倒される。
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文化財を展示する建物もおり、狩野永徳の息子光信の襖絵など国宝、重文がこれでもか、というくらい展示されている。うれしくてたまらん。

桃山時代の襖絵はやはり見事。荒々しいエネルギーに溢れてる。ちまちましてない。ちなみに鎌倉時代に彫られた吉祥天の仏像が大変印象に残った。小さい仏像だが、気品にあふれ存在感強し。

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さらに琵琶湖西岸を北へ。北近江は旅吉が愛してやまない地だ。

写真では伝わらない趣きがあるんだよね。ザクっと言えば品がいい。
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湖岸の集落も海沿いの漁村と違う静かさがある。バイクや自転車が走るコースとして人気みたい。やっぱええなぁ、滋賀県。一見地味だが魅力満載。芯のしっかりした人って感じ。
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そして北陸の玄関口であり、北海道行きのフェリーが出る敦賀気比の松原に来た。1ヶ月半ぶり。

どうした縁なのかこの10年間で敦賀に来たのは今回が4回目。なぜだかいつも夕方に来てる。なのでレンガ造りの資料館などには行かずじまいなのだ。
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今日は途中で二度昼寝したので、疲れは取れた。それにしても関西はラジオが面白いので運転してて飽きない。

北海道に旅立つのだ!

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旅するおやじ旅吉です。

諸事情により、秋に予定していた北海道プラス北東北の旅に本日出発。お馴染み名門大洋フェリーで新門司港から大阪南港へ。その後、福井県敦賀から新日本海フェリーで苫小牧を目指す。

腰の調子が悪いうえ、今一つ心の準備ができておらず、なんだか不安が先行している。年取るといかんなぁ。

北海道には梅雨がないと言うものの、道東は6月に割と雨が降る。20年ほど前に5日間一人旅した時も連日の雨に苦しんだ。

ちなみに今回の北海道を巡るルートは未確定。うーん、俺らしくない。

どうか天気よくあれ。腰も良くなれ。心よ翔け。なにか不都合が発生して、熊本にとんぼ返りなんてことがないように!

アメノウズメのドアップ怖い

どうも。旅するおやじ旅吉です。

全国半周の旅から帰ってやがて1ヶ月。無事に孫も生まれたし、そろそろ、ということで、短い日程だが車中泊の旅に出た。

実は4月下旬にも一度、車中泊の旅に出た。「孫の出産までもう少し時間がかかりそうなので、悪いけど、ちょっと出てくる」と長崎方面へ。

ところが、長崎市伊王島(今は橋でつながっている)で一泊した翌朝、妻から「娘の陣痛が始まった。早くて今日の夕方か」との連絡。「さすがに帰らないわけにはいくまい」ととんぼ返りしたわけだが、驚くことに正午過ぎには「産まれた」のラインが入った。

え〜、安産過ぎるだろ。陣痛が始まってわずか3時間。

全国半周の旅の時、あちこちの神社仏閣で「無事に孫が産まれますように」と祈願したのが功を奏したか。個人的な推測では、昨年秋の宮崎車中泊の旅で日南海岸にある鵜戸神宮(祭神は神武天皇の父ウガヤフキアエズ。安産祈願で有名)に参拝したのが一番効果があったのでは。皆さん、あそこは安産にいいですよ。

それから早半月。GWも終わり、「そろそろいいかな」と今度は東へ旅立った。まずは古代史に興味を持つきっかけとなった高千穂へ。何度も訪ねた場所ではあるが、いつも日帰りだった。

夕方近くに高千穂に着き、まずは国見ヶ丘へ。正直、あまり期待してなかった。ところが、ここが凄かった。晴天の夕方ということもあったのかもしれないけど、東側には高千穂の町並み、北側には祖母山の山並み、西側には遠くに阿蘇の五岳。ありきたりの表現になるが、感動しました。

一枚目が高千穂の町並み。2枚目が阿蘇方面。3枚目が祖母山方面。

何しろ天孫降臨で有名な地なので、皇族もたびたび訪れている。展望台には立派な赤松が続き、雅な雰囲気。車中泊ができそうな駐車場があったけど、夕食を買い込んでなかったし、風呂にも入りたかったので諦める。

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結局、高千穂の道の駅で車中泊。駐車場の真横に上の写真の石像が。夜間はライトアップされ、とても不気味。一体なんの石像だろうと近づくと、アメノウズメでした。天の岩戸に閉じこもったアマテラスを表に引き出そうと愉快に踊った女性。ただあまりに顔がドアップなので、トイレに行くたび怖くて。子供の頃から被り物のぬいぐるみが苦手だったもんなぁ。

翌朝、道の駅から高千穂神社高千穂峡と歩いてみた。行きは良かったけど、帰りがきついのなんの。高千穂は斜面に作られた町。標高さは予想以上だった。

高千穂峡はGW末の大雨で水量が半端なく、それだけに迫力がありました。

で、改めて神話と高千穂の関係を考えてみた。

鎌倉幕府高千穂神社に記念の杉を植樹したことでも分かるように、鎌倉時代にはすでに「天皇家とゆかりの深い高千穂」という情報は国民が共有していたのだろう。なぜなら奈良時代初頭に編纂された古事記日本書紀には「日向の高千穂の峯の‥」という天孫降臨の下りが出てくるから。

おそらく奈良時代以降、インテリ層には一環してこの情報が頭の中にあり、江戸時代の国学尊王攘夷の高まりで、その情報は一層広がったことだろう。

最近読んだ本で知ったのだが、関西を中心に存在する古墳に仁徳天皇陵応神天皇陵など歴代の天皇を当て込んで確定させ、整備を進め、現在のような形態にしたのは、幕末から明治初期なのだ。

もちろんそれまでの書物や地元の伝説などを精査しての判断だったのだろう。でもかなりのスピードで「帳尻合わせ」をしたのは間違いなさそう。

例えば、ほぼ実在が否定されている神武天皇の陵(奈良県橿原市)は、幕末、孝明天皇の大和行幸に合わせ急ぎ整備したらしい。

そうした情報を宮内庁がそのまま引き継いでいる。ただ考古学の進展で現実の被葬者とのズレが表に出始め、古代史研究者と宮内庁の対立を招いている。いっそのこと一括して調査をしてしてしまえば良さそうだが、宮内庁は「天皇家の祭祀の場としての静安と尊厳を守る」ことを理由に拒否しているとか。

なんだかなぁ、とは思う。ただ種明かししてしまうと逆に白けてしまう部分もあるのかもしれない。そのあたり、宮内庁は「よく分かってる」のかもしれない。

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まぁ色々考えてしまう部分はあるけど、少なくとも1300年間、日本国民に共有されてきた「神話の里」の存在価値は十分すぎるほど高いと思います。

山の辺の道はやはりいい

どうも。旅するおやじ旅吉です。

1ヶ月余りにわたる全国半周の旅で唯一、二度訪ねた場所がある。奈良県石上神宮とその南北に伸びる「山の辺の道」だ。旅の3日目と最終日。1カ月の時間を挟んでいたので、2回目の訪問の時は「懐かしい」と感じた。

特に山の辺の道は、歩いているとなんだか清々しい思いに満たされ、すこぶる機嫌が良くなる。「空気が澄んでるなあ」とか「あの遠くの山はおそらく二上山かな」など独り言をぶつぶつ言ったりする。機嫌がいいと独り言が増える。

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山の辺の道は、奈良市若草山あたりから桜井市三輪山あたりまで南北に続く、古代から残る古道。舗装されていない山道だったり、昔ながらの集落の中を通ったり、表情が豊かに変わるので歩いていて飽きない。もちろん車や自転車で走破するのは無理。

ちょうど真ん中あたりに石上神宮天理市)があり、ここから南側の大神神社桜井市)にかけては崇神天皇陵や景行天皇陵、箸墓古墳などの大きな陵墓が並び、特におすすめだ。三輪山山麓にあたるこの一帯は、ヤマト王権誕生の地なのだ。f:id:noaema1963:20230428135016j:image

ちなみに、石上神宮伊勢神宮と並ぶ歴史がある。日本書紀にもその名が出てくる。鎌倉期に建てられた拝殿は国宝だ。

ヤマト王権の軍事を司った豪族・物部氏の武器庫も兼ねていたとされ、今でも神職には物部氏の末裔も。

石上神宮と言えば、百済でつくられとされる国宝の七支刀はその形、その伝承ゆえにつとに有名。もちろんこちらも国宝。熊本の江田船山古墳からは、雄略天皇を指す「ワカタケル」の文字が刻まれた太刀が見つかっているが、七支刀はまだ遥かに時代を遡りそうだ。
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参道から拝殿の方に近づくと、境内に鶏の泣き声が響き渡っている。色とりどりの鶏が放し飼いにされていて、伊藤若冲の絵を思い出す。「鶏ってこんなに綺麗だったんだ」と、餌を啄む姿を見ていても全く飽きない。時々、場所の取り合いで小競り合いになる。「どの鶏が一番強いんだろう」と観察するも判別がつかず。猿山のボスなら簡単に分かるのに。

鶏の鳴き声さえも神々しく感じる。それほど石上神宮はパワースポットとして訪ねる価値ありだと痛感した。

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石上神宮を貫くように山の辺の道が通っているので、南側の桜井市方面へ数キロ歩いてみた。

山の辺の道は「歴史好きにはたまらないハイキングコース」と言えそう。この日は3月中旬の日曜日だったが、いたって静かで、時折、中高年のご夫婦や親子連れとすれ違う程度だった。でもそのくらいがいい。

しばらく歩くと内山永久寺跡に。石上神宮の神宮寺として幕末まで「西の日光」と言われる繁栄を見せたが、明治の廃仏毀釈で完全に破壊された。今訪ねても、それほどの大寺院があったことはわからない。文化財保護の観点から見ると、あまりにも「惜しい」。源平や戦国の騒乱、太平洋戦争の空襲と並び、廃仏毀釈がもたらした影響は相当なものだろう。

話は飛ぶが熊本市の姿を大きく変えたのは、西南戦争、空襲、熊本地震の三つではないかと思っている。
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内山永久寺を後にしてまた歩き進むと茅葺きの拝殿が目を引く「夜都伎神社」に。奈良市春日神社と関係が深く、俗称として「春日神社」と呼ばれている。大和地方で茅葺きは珍しいらしい。確かに「五畿内」と呼ばれる地方は寺院も神社も大規模で高級感のある建造物が多いので、黒々とした瓦や上品な檜皮葺は多いけど、素朴な茅葺きはあまり見ないような。でも山の辺の道にはぴったりです。

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山の辺の道は時折、こうした昔ながらの集落を通過する。路地は迷路のようで、中には堀で囲まれた戦国時代の名残である環濠集落も。静まりかえった集落に迷い込むとなんとも言えない幸福感に包まれるのは旅吉だけなのだろうか。
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さらに南下すると崇神天皇陵。かなりの規模の前方後円墳宮内庁が治定し管理しているので中には入れない。ただこの治定も、幕末の尊王攘夷の高まりを受け、幕府が一気に進めた調査によるものが多く、考古学の学術的な調査などなしに当時の国学者の見方を頼りとしたようだ。明治政府もまた、国威高揚を狙ってその作業を受け継いでいる。なので考古学的な研究が進むにつれ、史実とのズレが明確になっている。

幕末までは古墳が古墳として扱われず、農地の一部だったり、薪を得るための共有地だったりで、今のような「整然と守るべき場所」ではなかった。いわば今の古墳の景色は明治以降に作り上げられた景色なのだ。

それでも宮内庁が管理する巨大な前方後円墳に出会うとテンションが上がる。

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下の写真は、卑弥呼が被葬されたとも言われる箸墓古墳桜井市)。以前も書いているので良ければそちらも。
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noaema1963.hatenablog.com

 

ところで山の辺の道が通る天理市は、天理教の町として有名だ。でも天理教を信奉する人でない限り、天理教の施設に注意を向ける人は少ないのでは?

この施設がとんでもなくすごい。大きさ、数、共にすごい。

下の写真に見るような建造物が石上神宮の西側一帯に広がっている。本部の施設、関連の文化施設、学校、関係者の寮などだ。いずれも和洋折衷というかなんというか。5〜6階建の巨大なコンクリートの施設に唐破風の付いた大屋根がかぶさっている。

この統一感のある町並みはあまり他では見ることができない。まさに宗教都市。それも全国一と言っていいのではないか。アニメに出てきそうなまちだ。写真では伝わらないが、実際に近くで見るとその大きさに圧倒される。東大寺の大仏殿を目の前にした時の迫力に近い。

奈良の建造物は他とは桁外れと言っていいのかもしれない。大仏殿、大仏、興福寺五重塔天理教の建物群。一括して何かに登録できないものか。

一番下の写真は天理大学を正面から撮影している。で、その一階部分を車道が貫いている。実際に旅吉はこの下をキャンピングカーで通過した。公道なのか私道なのか、よく分からないままに。

天理教の施設には一般の観光客も入っていいようなので、次回は是非とも訪ねたい。

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