一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

花が見事な旅だった

旅吉です。

今回の全国半周の旅は桜前線の北上と足並みを揃える形になった。

植物についてはほとんど知識がないながらも、東国や北国は「一気に春がやってきた」ような明るさがあって、あちこちで写真を撮った。気に入った植物の写真を時系列で並べてみた。

 

大阪府羽曳野市にある応神天皇陵の横にある誉田八幡宮河津桜かな? 3月9日。

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藤井寺市の津堂城山古墳。
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奈良県に入ったあたり。當麻寺かな。

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三重県桑名市河津桜。3月13日。
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明治村ハクモクレン
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静岡県浜松市の三方ヶ原古戦場にあった桜。3月16日。この頃、東海や東京周辺は桜が咲き出した。
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静岡県沼津市駿河湾の浜辺。松林が美しい。
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3月19日の茨城県つくば市あたり。
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3月21日の水戸市偕楽園梅の花はほんの少し残っていた。前日くらいに水戸市で桜が開花。
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栃木県佐野市。3月22日。ソメイヨシノではなかったような。
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同日。馬酔木の花。
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同日。栃木県足利市
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群馬県沼田市沼田城跡。おそらく山桜。3月24日。
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新潟県上越市の高田城跡。桜の名所。3月26日。前日に開花宣言があった。なのでまだ3分咲きくらいだった。
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長野県千曲市のあんずの里。3月27日。杏の花が満開。祭りの初日。
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長野県の高遠城跡。3月28日。まだ満開前。
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3月29日。長野県飯田市。町中、桜が咲き誇っていた。やはり南信州
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同日。長野県の木曽福島。歴史感じさせる松。

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長野県安曇野市。大王わさび園。確かこの頃、新潟市あたりは開花宣言
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3月31日。富山県入善町。杉沢の沢スギ。
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同日。富山市。見事に満開。
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富山県砺波市。樹齢400年以上のスギ。
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4月1日。富山県五箇山。まだ早春。
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石川県と富山県の県境近く。水芭蕉の自生地。初めて本物を見た。
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4月3日。能登鹿島駅。この日が満開。
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石川県金沢市。4月5日。満開を過ぎていた。
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滋賀県東近江市五個荘地区の近江商人の邸宅。関西より東側は松の木が見事です。
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八重桜? どこで撮ったか失念。
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5週間の全国半周の旅まとめ

どうも。旅するおやじ旅吉です。

前回のブログに書いた通り、5週間にわたる全国半周の旅を終え、熊本の自宅に帰ってきた。とは言いながら北九州の新門司港〜大阪南港は往復ともフェリーなので、だいぶ楽はしている。5週間の動きを簡単にまとめてみる。

 

▽1日目(3月8日) 熊本市飯塚市北九州市門司港→(泊)名門大洋フェリー

▽2日目 大阪南港→大阪府羽曳野市藤井寺市→(泊)羽曳野市の道の駅「しらとりの郷・羽曳野」

▽3日目 道の駅→大阪府太子町→奈良県葛城市→(泊)葛城市の道の駅「ふたかみパーク當麻」

▽4日目 道の駅→奈良県橿原市・明日香村→(泊)奈良県天理市の道の駅「なら歴史芸術文化村」 写真は石舞台古墳

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▽5日目 道の駅→石上神宮・山の辺の道→宇陀市三重県伊賀市→(泊)伊賀市の道の駅「いが」 写真は石上神宮

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▽6日目 道の駅→亀山市四日市市桑名市→(泊)愛知県愛西市の道の駅「立田ふれあいの里」 写真は桑名市にある七里の渡しの船着場。

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▽7日目 道の駅→愛知県犬山市明治村→(泊)岐阜県可児市の道の駅「可児ッテ」

▽8日目 道の駅→愛知県岡崎市→(泊)静岡県浜松市のホテル

▽9日目 ホテル→浜松市島田市→(泊)富士市の道の駅「富士川楽座」 写真は浜松市の動物園。

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▽10日目 道の駅→沼津市伊豆の国市→箱根経由→(泊)横浜市東名高速港北PA

▽11日目 港北PA→東京都中野区・新宿区→(泊)墨田区のRVパーク

▽12日目 RVパーク→茨城県つくば市霞ヶ浦→(泊)潮来市の道の駅「いたこ」

▽13日目 道の駅→潮来市鹿島市→(泊)鉾田市鹿島灘海浜公園 写真は鹿島神宮

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▽14日目 海浜公園→大洗町水戸市→(泊)栃木県小山市の道の駅「思川」 写真は水戸市偕楽園好文亭

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▽15日目 道の駅→栃木県佐野市足利市群馬県伊勢崎市→(泊)吉岡町の道の駅「よしおか温泉」

▽16日目 道の駅→伊香保町沼田市→(泊)沼田市の道の駅「白沢」

▽17日目 道の駅→みなかみ町三国峠新潟県湯沢町南魚沼市→(泊)魚沼市の道の駅「ゆのたに」

▽18日目 道の駅→長岡市出雲崎町柏崎市→(泊)上越市の道の駅「よしかわ杜氏の里」 写真は長岡市河井継之助記念館と出雲崎の遠景。

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▽19日目 道の駅→上越市妙高市→(泊)長野市のホテル

20日目 ホテル→千曲市茅野市諏訪市→(泊)南箕輪村の道の駅「大芝高原」 写真は千曲市のあんずの里と茅野市白樺湖

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▽21日目 道の駅→伊那市→高遠→分杭峠大鹿村→(泊)豊丘村の道の駅「南信州とよおかマルシェ」

▽22日目 道の駅→飯田市駒ヶ根市・木曽町・塩尻市→(泊)安曇野市の道の駅「アルプス安曇野 ほりがねの里」 写真は河岸段丘上にある飯田市

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▽23日目 道の駅→安曇野市大町市白馬村新潟県糸魚川市→(泊)富山県黒部市の道の駅「KOKOくろべ」

▽24日目 道の駅→黒部市・朝日町・入善町富山市→(泊)砺波市の道の駅「砺波」

▽25日目 道の駅→砺波市南砺市南砺市の道の駅「福光」

▽26日目 道の駅→石川県内灘町羽咋市志賀町輪島市→(泊)輪島市の道の駅「輪島」 写真は富山と石川の県境付近にあった水芭蕉の自生地。

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▽27日目 道の駅→輪島市珠洲市穴水町→(泊)七尾市の道の駅「能登食彩市場」

▽28日目 道の駅→七尾市富山県氷見市高岡市射水市→石川県津幡町の道の駅「倶利伽羅 源平の郷」

▽29日目 道の駅→金沢市白山市小松市→(泊)福井県坂井市の道の駅「みくに」

▽30日目 道の駅→三国港・越前海岸・敦賀市滋賀県長浜市の道の駅「塩津海道あぢかまの里」 写真は敦賀市の遠景。

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▽31日目 道の駅→長浜市の木之本地区・高月地区→(泊)北陸自動車道の長浜PA

▽32日目 長浜PA彦根市多賀町近江八幡市→(泊)大津市の道の駅「びわ湖大橋米プラザ」

▽33日目 道の駅→大津市坂本地区→奈良市奈良県田原本町の道の駅「レスティ唐古・鍵」

▽34日目 道の駅→天理市奈良市→大阪南港→(泊)名門大洋フェリー

▽35日目 新門司港熊本市

 

振り返ると、後半の北陸地方がじっくりと各地を巡り、それだけ印象に残っている。

移動距離は3000キロを超えた。ガソリン代もだいぶかかり、最終的な総費用は20万円を少し超えるくらいになった。いかに無駄な移動を減らして、「半分ジモティー」になれるか、が今後の課題だろう。

「ブログをどう書いていくか」ー旅をしている途中、ずっと迷い続けた。今も迷っている。最終的には「読み手のウケを気にするか」「自分の好き勝手に書くか」だろう。旅吉は後者に傾いている。そもそもそれが目的でブログを始めたわけだから。

キャンピングカーで一人旅を続けていると、人と会話をする機会が想像以上に少なくなり、結果的に旅のメリハリがなくなる。還暦になっても「人見知り」が続いている以上(これは不治の病と捉えたがいいでしょうね)、自らに無理強いして人と交流をするのではなく、何か別の手立てを考えたがいいような気がする。

とりあえず、日本半周の旅春編を振り返ってみました。滋賀県奈良県をあと1、2回書いて打ち止めとします。

春疾風の安土城で腹が緩む

旅吉です。

実はキャンピングカーによる日本半周の旅をすでに終え、熊本の自宅に帰っている。丸5週間に及んだ旅の全行程まとめは後日報告します。

さて旅は4月の初旬に戻る。

旅吉が愛して止まない近江の国、滋賀県に入った。大阪、京都、名古屋という大都市に近いのに、ゆったりと雅な時間が流れている。あちこちに品格の高さを感じる地域だ。移住するなら滋賀か富山か長野と思っている。

しかし地政上、古代から近江は戦乱の地だった。特に「魔王」織田信長の蹂躙は相当なものだったみたい。

で、信長の晩年の居城である安土城跡に行った。約15年ぶり二度目の訪問だが、結構大変な目にあってしまった。

 

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これが安土城の大手門から見た大手道の風景。左右には豊臣秀吉前田利家が住んだとされる邸宅跡があり、一気に戦国もの大河ドラマの世界へ引き摺り込まれる。

入山料(意外と高い700円)を払うあたりに「これから先にはトイレがありません」の看板。「まぁさっきトイレに行ったばかりなので大丈夫だろう」と気にせず、勇んで大手道の石段を登り始めた。

安土城について簡単に紹介しておきたい。

本能寺の変の6年前に信長が築城した。それまでの城郭は山城が基本で、山の地形に合わせて石垣がウネウネと続き、建物と言えば櫓か平屋の御殿だった。

そんな中、信長は絢爛豪華な多層の天守閣を持つ城を安土山に築城。そのあたりはいくつもの小説の題材になっている。特に山本兼一の「火天の城」は映画化されているので参考になる。天守閣には狩野永徳の障壁画もあったらしい。天守閣が残っていれば国宝間違いなし。世界遺産かも。

個人的には、安土城以前は「地形が主、人間の力が従」だが、安土城以降は逆になったように感じている。

本能寺の変を経てやがて安土城は廃城となるが、その後、安土城を模した近世城郭があちこちにできる。熊本城も大坂城も姫路城も、基本は安土城。石垣造りの技能集団「穴太衆(あのうしゅう)」も近世城郭の成立に大きく貢献したようだ。

で、穴太衆が造ったであろう大手道。行ったことがある人はわかると思うが、とんでもなく急なのだ。感覚的には傾斜45度の山を登っている感じ。平地に建つ近世城のイメージでいるととんでもない目にあう。足腰に自信がない人は入山自体を避けたが良さそう。

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写真は大手道に敷かれている石仏と、二の丸にある信長の墓。魔王らしい。

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急坂にも関わらず、元気なふりをして(一人旅だと無意識にそんな空気をアピールする傾向あり)サクサク登っていると、息が切れて天守台に到着する頃には少し気分が悪くなった。

そうなると普通、吐き気がしてくるもの。ただ旅吉の場合は胃よりも腸が弱いので、吐き気よりも先に腹がグズつき出す。はじめは「うん? 大丈夫かな」というくらいだったが、天守台に登って写真を撮っているうちに、「もしかして、やばくね?」という感覚に襲われ出した。「この先、トイレはありません」の看板が脳裏に浮かぶ。

にわかに暗雲が立ち込め、強風と小雨が安土城を襲い出した。余計に腹がぐずついてきた。魔王信長の怒りに触れたのか。「信長さま〜。ご勘弁を〜」と帰り道を急ぐ。

ついでに最悪の状況を想定して「人目につかない場所」も確認する。惨事に備えトイレットペーパーはいつもバッグの中にある。ただ適当な場所など、そう簡単には見つからない。

中腹にある摠見寺の三重塔までたどり着く。築城当時の建造物なので人気のスポット。国の重要文化財。観光客であふれ、先に進みにくい。「きちんと生きていくので、許してください」と誰に向かってお願いしているのか分からないが、心の中でそう祈る。

祈りが通じたのか、腹のグズグズが治ってきた。いつもそうだ。トイレが近づくと腹が治る。

写真は天守台から見た琵琶湖方面と天守閣の礎石。これ以降、写真撮影どころではなくなる。
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どうにか入山受付の場所まで帰りつき、腹は治りはしたものの、トイレには行っておく。ふと気づくと、いつの間にか空は晴れ渡っている。一つ俳句を詠んでみた。

 

胸突きの信長の城春疾風(はるはやて)

 

いつかは行きたかった場所

どうも。旅するおやじ旅吉です。

子供の頃からずっと行きたかった場所があった。とうとう念願かなって行くことになった。

信州の高遠から南へ一直線に続く谷がその場所である。南アルプス伊那山地に挟まれた谷が、静岡県の方向へ延々と続いている。途中には標高が1400メートルを越す分杭峠。その南には大鹿歌舞伎で知られる大鹿村役場などがある。ちなみにこの歌舞伎を題材に、原田芳雄の遺作となった映画「大鹿村騒動記」が10年あまり前に上映されている。

 

なんで行きたかったのかー。理由という理由はない。ただ秘境をイメージさせる何かがある。地図帳で見るたび、「なんでこんなにまっすぐ谷間が続いているんだろう。誰か住んでいるんだろうか」「いつか行ってみよう」という思いが消えることはなかった。

前回の記事から数日前に戻る。

高遠の城跡で桜見物をした後、まんをじしてこの地に乗り込んだ。

で、えらい苦労をしました。

何しろこの谷を通るのは国道とは言え3桁のまさに「酷道」。下の写真がそれだが、この道幅がグネグネと終わることなく30〜40キロほど続いた。民家はほぼない。

ナビが「急カーブがあります」とうるさいくらい知らせてくる。「分かってるって」と独り言を言いながら、ひたすらハンドルを回す。地図で見ると比較的まっすぐな道をイメージするも、実際はそんなに甘くない。

南アルプスの麓と言いながら、目の前の低い山々に隠れて雪山が姿を表すことはない。ここで事故を起こしたらとんでもないことになること間違いなし。死亡事故にでもなろうものなら「なんで熊本の人がこんな所で」と呆れられることだろう。

以前、熊本の五家荘地域(八代市泉町)へ、やはり酷道を使って訪ねたブログを書いたが、ほぼ同じか、あるいはもっと過酷だった。何しろ距離が半端ない。ヘトヘトになった。五家荘の記事も読んでみてください。

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noaema1963.hatenablog.com

今回初めて知った。秘境と言われる地域の風景はどこも変わらない。何しろ秘境は遠望がきかないのだ。地形の関係上、目の前の山々の景色しか見えない。なので五家荘の風景も今回の南アルプス山麓の風景も一緒だった。新緑の季節になると植生の違いが際立つのかもしれないが‥。

ようやく分杭峠に到着。思えば南信州とはいえ、標高1400メートルまでノーマルタイヤで行くのはあまり感心しない話だろう。ちなみにこの前日には霧ヶ峰のすぐ下を走るヴィーナスラインで標高1800メートルの地点まで行っている。冬用タイヤの指示はなかったが、現地の人からすると無謀なことをしているのかも。二日とも道路上に雪は全くなかった。f:id:noaema1963:20230415153719j:image
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峠からは高遠方面が見えたが、あまり信州らしい景色とまでは言えないような。ただ説明板からなぜこんなまっすぐな谷間があるのか知った。中央構造線の影響なんですね。

九州にはいない熊でも出るのではと思ったが、野生動物に出くわすことはなかった。
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その後も、上の写真のような道路がだいぶ続いて、大鹿村役場がある村の中心部に到着。道の駅もあったので「ここで車中泊しようか」と迷ったが、まだ時間が早かったのと、電波状況がかなり悪そうなので飯田方面に抜けました。

「長年興味があった場所をついに走れた」という達成感はあるものの、想像以上の過酷なルート(すれ違った車は2〜3台。いずれも県外ナンバー)に「ガソリンの無駄遣いになったかな」「やっぱ俺は物好きだなぁ」という後悔と反省も。何しろ旅吉のキャンピングカー「プー介」の燃費は、1リッター10キロに届かないくらいなのだ。キャンピングカー はこのあたりがついらいところだ。

ちなみに大鹿村役場のさらに南、静岡方面への道は峠が通行禁止になっていた。

「越の国」を南へ南へ旅は続く

旅吉です。

能登半島を一周した後、キャンピングカー「プー介」は加賀の城下町金沢に立ち寄り、さらに南へ南へと下っていくのです。

ちなみに前回書き忘れていましたが、今回の旅の北限は能登半島の曽々木海岸を過ぎて珠洲市へと右折するあたり。同緯度の東側を見てみると新潟県出雲崎。実はこの数日前に越後の折り返し点として訪ねていました。不思議な縁を感じました。

さて、金沢市。確か4回目の訪問なのですが、金沢城の東側にある茶屋街は行ったことがありませんでした。当初は金沢はスルーしようと思ったものの、さすがに「もったいない」と思い直し、訪ねました。いや〜いいですね。人気観光地の格の高さを感じました。欧米系の外国人観光客が多いこと。満開は過ぎていましたが桜に彩られた町並みは、日本人でも大いに感動してしまいました。

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「金沢は上品だな〜」と海側を走る国道8号に進むと、ここも他の場所と同じく延々と続く派手な看板群。やはり個人的には残念です。

その後、全国展開する24時間営業のトレーニングジムで軽く汗を流しました。群馬県伊勢崎市、長野県塩尻市、石川県七尾市に続き4カ所目。会員になると全国どこの店舗でも使えるので嬉しい限り。旅にメリハリを与えてくれます。

 

午後からは白山市にある加賀国一ノ宮の「白山比咩(しらやまひめ)神社」へ。すぐ横を手取川が流れています。「この近くで織田軍と上杉軍がぶつかったんだ」と思いながら、上杉軍の行動範囲の広さに改めて驚かされます。上越を拠点に東は関東、西は加賀。活動的すぎる。
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小松空港のすぐ近くの海岸に勧進帳で有名な安宅の関跡。30年ぶりくらいに来ました。近くに航空自衛隊の基地があるので戦闘機の爆音が耳をつんざきます。
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白山をバックに爆音をたてて飛び去る戦闘機。雪に覆われた白山がこれほど綺麗に見えるとは想定していませんでした。
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日が暮れてから福井県に入り、あわら温泉で入浴。地元の方々で大賑わいで「アウエー」の身としてはあまり落ち着きません。

三国港近くの道の駅で車中泊をした翌日、旅の疲れでしょうか今一つ体調がすぐれなかったので、午前は三国のマクドナルドでブログを書き、午後から越前海岸をひたすら南下。カニで有名な場所ゆえ「海鮮好き」なら大喜びしそうな店がたくさん並んでいます。でも旅吉はカニがちょっと苦手。代わりに越前岬に近い「水仙の里波の華温泉」に入り、ゆっくり体調回復させてもらいました。

このルートは主要幹線ではない3桁の国道を走るので、敦賀市に至るまで結構時間を要しました。とは言え表情豊かな越前海岸。途中の道の駅では「海鮮丼を4人とも食べたらいくらになるか」と真剣に計算している家族連れもいてなかなか印象的でした。
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越前海岸の終点が敦賀市福井県北部との間に大きな山塊があるため、福井市あわら温泉三国港があるあたりを「嶺北」、敦賀市などを「嶺南」と呼ぶみたい。それと「若狭」がありますよね。天気予報を聞いていて「分かりやすいなぁ」と思いました。

ちなみに地域の呼び名として、新潟では西から順番に「上越中越下越」、富山は呉羽山を境に「呉東、呉西」、長野県は「北信(長野市など)、東信(上田市など)、南信(諏訪市伊那市など)、中信(松本市など)」と表現することが多いみたいですね。富山以外は天気予報で必ず出てきました。

敦賀市金ヶ崎城跡にある金崎宮。朝倉攻めに進んでいた織田軍が逆に朝倉・浅井の挟み撃ちに遭いそうになり、反転して京都へ逃げ帰った場所として有名です。秀吉らが殿(しんがり)を務め、さらに名を挙げるきっかけにもなりました。
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同じく敦賀市気比の松原
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敦賀は古代から有名な場所で、日本書紀などにもたびたび顔を出します。「越(こし)の国」の最西端に位置する北国への玄関口として重要な役割を果たしたようです。確か今でも姫路方面とを結ぶJRの新快速が一部、敦賀まで乗り入れていると記憶しています。

なぜか個人的に惹かれてしまい、今回が3度目の訪問でした。

福井県については以前(もう3年前‥)ブログで書いているので、そちらも読んでみてください。

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能登半島ぐるり一周

どうも。旅するおやじ旅吉です。

初めての能登半島。時計回りに一周してみました。

最初に感想。思っていたより広く、イメージしていたような陰鬱さはなかったけど、加賀地域に比べると想像以上に静かでした。

それゆえ、延々と続く全国チェーンのレストランやドラッグストアはほぼないし、コンビニも輪島市七尾市の中心部に少しある程度。まだ昭和が残っています。

それにしても、全国どこのバイパス沿いにも現れるド派手なチェーン店の看板、とうにかならないんでしょうか。どんどんひどくなっているような。観光都市一帯では条例の関係で色合いをかなり抑えてはあります。

司馬遼太郎は「街道をゆく」で高度成長の荒っぽい街並み開発を再三嘆いています。今から40年ほど前の著作ですが、いまの景色を見たら司馬はなんと言うでしょう。

業者側からすれば、「少しでも目立つように」と言う上昇志向なのでしょうが‥。行き過ぎであることは間違いありません。日本人らしい無秩序な前向きさだと思います。

 

話が飛びましたが、順番に写真で。

羽咋市のなぎさドライブウェイ。砂浜を思い切って観光ルートに活用した人の知恵には感心します。

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能登一の宮である気多大社
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至る所に断崖が。「ヤセの断崖」が一番有名。
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江戸から明治にかけ、能登北前船で賑わいました。輪島市黒島地区の町並みは当時の繁栄を今に伝え、文化庁重要伝統的建造物群保存地区になっています。国の重要文化財に指定された住宅もあり、集落全体が黒光りする瓦で統一感がありました。
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輪島の朝市。輪島はドラマや映画のロケ地になることが多く、町中にドラマ館も。
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輪島では道の駅の近くにある小さな飲み屋に。50代のご夫婦が経営されてて、感じの良いお店でした。いろいろ輪島のこと聞けて、勉強になりました。

祭り好きのご主人のお薦めが、輪島キリコ会館。翌朝早速行きました。キリコは能登の各地で祭りの時に担ぐ、巨大な神輿みたいなもの。明治までは今よりずっと大きかったのですが、電線の影響で小さくなったとか。

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能登の代表的な風景、千枚田。先人の苦労がしのばれます。

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曽々木海岸。能登らしい。
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半島をぐるりと富山湾側にまわり込むと珠洲市輪島市よりさらにささやかな町でした。富山湾を挟んで北アルプスが見えました。まさかこんな遠くから見えるとは。感動でした。
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見附島。くっきりと清々しい風景。午後3時頃の光がこの景色にはぴったりです。北アルプスとのコンビネーションもいい。
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NHKの72時間でも昨年取り上げられた穴水町の桜の名所、能登鹿島駅。地元紙によるとこの日が満開でした。ちょうどテレビ局の中継もやってました。
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七尾市和倉温泉近くにある能登大橋。対岸は能登島。この橋自体が観光名所みたい。
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七尾は桃山時代の絵師、長谷川等伯の故郷。せめて等伯と同時代を体感しようと七尾城へ。七尾市の町並み、和倉温泉能登島まで俯瞰できて、素晴らしい景色でした。上杉謙信もベタ褒めしたそうです。
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能登半島一周はまるまる2日半かかりました。

ちなみに和倉温泉の湯(総湯)は、塩気の強さに驚きました。ちょっとした傷がビリビリとしみました。そして加賀屋が巨大でした。

図書館について思うこと

旅吉です。

全国あちこち回りながら、図書館に立ち寄ります。その土地の歴史や文化、観光地が理解できるし、WiFiが使えるのもうれしい。旅に疲れたら図書館が一番です。

でも差が激しいんですよね。図書館は。

主に市立図書館を訪ねることが多いけど、すごい情報量を発信している館もあれば、旧態依然とした運営をしている館もあります。

正直、その地域の文化レベルを見るようなな気がします。立派な図書館がある自治体は「きちんとした地域振興をしてるんだろうな」と思ってしまいます。

なぜなら、図書館って黙殺したとしても市民から最も苦情が出にくい施設だと思うわけです。市民の人気を得ようと思ったら、観光施設だとかスポーツ施設を充実させるのが得策と考える首長の方が多いはずです。

読書離れが激しいですよね。20世紀にはあちこちにあった町の本屋さんも、今はほとんどありません。悲しい限り。チェーン店ばかりです。もちろんそれはそれで悪いことではありません。でもなにか寂しい。

先日、富山県南砺市城端で昔ながらの町の本屋さん見かけ、文庫本を一冊購入しました。その本を見るたび、富山のことを思い出すことでしょう。また今日は、滋賀県長浜市木之本の古い町並みで2軒の本屋を見つけました。私設の小さな図書館もありました。駅前にある戦前の建物で運営しています。頑張ってほしいです。

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旅吉はどうしても本にこだわってしまいます。言うほど読書家でもないし、文学の良さを吟味できる能力もありません。ただの文化愛好家。それでも独自の取り組みをしている本屋や図書館に出会うとテンションが上がります。

ちなみに今まで巡った旅先で活動が盛んだなと思ったのが、新潟県長岡市の市立図書館(下の写真)。写真では小さく見えますが、実際はかなり大きな建物。すごく賑わってました。

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さっきまでいた滋賀県長浜市の市立図書館も立派でした。あれほどの情報発進力はなかなかないのでは。蔵書数も相当なものでした。市民に親しまれているなと感じました。

我が故郷の熊本でもTSUTAYAとタッグを組んだ公営図書館が登場したり、街中で若い人が古本屋を始めたり、嬉しい動きがあります。

旅吉もホントは本屋をやりたいのですが、なかなか人の気持ちをがっちりつかめず、自分好みの狭い分野にはまりこんでしまいがちなので、難しいでしょうね。