一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

俳句の聖地江津湖 片道1キロの旅

こんにちは。旅するおやじ旅生です。

江津湖という小さな湖が熊本市の東南部にある。おそらく熊本県外でご存知の方はごくごく少数であろう。しかしながら水前寺成趣園から流れてくる水は清冽で、遠くに金峰山阿蘇の山並みが望み、熊本市民にとってまさにオアシス。江戸時代から細川藩士らが舟遊びをするなど歴史もある。

今日も3月並みの陽光。まとまった休みが取れたもののコロナでどこにも行けない旅生は「江津湖はブログにふさわしい場所ではないか」と今頃気付き、早速、片道1キロの旅に出た。

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この江津湖は俳句の聖地ではないかと個人的には思っている。すごくたくさんの句碑がある。

何しろ湖畔では昭和を代表する女流俳人中村汀女(1900〜1988年)が生まれている。

今書いていて知ったが、旅生が社会人になった時、汀女はまだ存命だった。そう言われれば生まれた年が旅生の祖父と一緒である。そんなに近い(?)年代の人だったのか。もっと前の時代の人(例えば夏目漱石)かと思っていた。

少し詳しく書くと、汀女は江津湖付近の大地主である斉藤家の出身(今も江津湖には斉藤家が架けた斉藤橋がある)。女学生の頃から地元新聞の文芸欄に投稿を繰り返し、熊本の文芸界で名を知られ、マドンナ的な存在だったようだ。文芸とはまったく無縁の旅生の両親でさえ、「中村汀女さんな相当な美人だったもんなぁ」と言っていた。

大正10年に同郷の大蔵官僚と結婚後、熊本を離れて全国を転々とする。昭和初期には日本を代表する女流俳人となり、星野立子、橋本多佳子、三橋鷹女と共に4Tと言われたそうな。
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とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな     汀女

 

柔らかで素朴で、ホトトギスの同人らしい作品に思える。汀女はまた、主婦らしい視線の句が多い。江津湖に句碑はないが、これも代表的な句。

咳の子のなぞなぞあそびきりもなや     汀女

 

「そうそう、風邪で学校休んでる時の子供ってこんな感じなんだよな」と思わず共感するが、とても自分では作れそうにない。いやいやいつの日か。

別の俳人の作品だが、やはり風邪の子供を読んだ、旅生の好きな句がある。

何をきいても風邪の子のかぶりふり    小路智壽子

 

我が子がまだ小さかった20年くらい前を思い出す。あの頃、子供はホントに小さく無力で愛おしかったなぁ。でもほとんど誰の手も借りずに子育てをしていた妻はかなり大変だったことだろう。今となって分かるのだが。

いかんいかん、また遠くを見る目になっていた。江津湖を散策しているとそんないろんなことが思い出されるのだ。

ただ熊本市中心部に近い場所にあるので、職場の同僚や仕事関係者を見掛けることも多い。そうするとぐ〜んとテンションが下がる。地元でのリフレッシュの難しいところである。
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夏目漱石の句碑もあった。漱石は五高教師として4年間、熊本に滞在している。

ふるひ寄せて白魚崩れん許(ばかり)なり      漱石

 

やはり男性の句だなぁと思う。

ちなみに熊本時代の漱石はこれを読んでください。

noaema1963.hatenablog.com

 

写真はないが高浜虚子の句碑も。

縦横に水の流れや芭蕉林           虚子

 

この芭蕉林は今も残っており、そのすぐ近くにこの句碑が建てられている。下の写真が芭蕉林。冬場の枯れた芭蕉の木々は、年老いた象の列を思わせる。風にゆらゆらと揺れて、なんとも言えない雰囲気を醸し出している。

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芭蕉林の近くには、江津湖の一部を水遊び場にしているエリアがあるが、真ん中に写っている遊具の白い象は、私が水遊びしていた50年前から存在している。設置した人は旅生と同様、冬の芭蕉林から着想を得たのだろうか。

いやいやそれはあり得んだろう。