一人旅おやじがゆく

旅することが人生の最大の喜びである旅好きが、各地で見たもの感じたことを淡々と記します。

鳥取編 伯耆の国は賑やかでした

どうも。旅するおやじ旅吉です。前回から改名しました。

前回は島根県の出雲地方について書きました。今日は隣の鳥取県について。

街道をゆく」を逆走

とは言いながら、書き出しは出雲の国の東端(島根半島の一番東側)にある美保関灯台になります。そして米子から大山の麓を走って倉吉、鹿野、鳥取市中心部へと向かうルート。

実はこのコース、司馬遼太郎が「街道をゆく 因幡伯耆の道」で辿った道筋を逆に進む形。司馬さんは鳥取県の東側から入り、最後には美保関灯台へ向かいました。この本を松江のマクドナルドで読み返していて気付き、「それならば」と逆コースを辿ることにしたのです。

 

美保関灯台へは松江から中海に浮かぶ大根島・江島経由で1時間ほど。大根島へは橋でつながっているとばかり思っていましたが、実はそうではなく、埋め立てて作ったと思われる直線道路が延々と続き、島に渡っている感じはあまりしません。水深が浅いからこそできたのでしょう。

ちなみに江島から弓ヶ浜半島に渡るには、テレビのCMで有名になった「ベタ踏み橋」を通ります。下の写真がそれ。実際に行ってみるとそれほどの傾斜ではなく、旅吉のキャンピングカーもスイスイと越えて行きました。

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さて美保関灯台。司馬さんはこの灯台とすぐ横の官舎跡を見て「十九世紀の西洋が小天地として存在している感じなのである」と表現しています。ちょっと大袈裟な感じがしないでもないですが‥。

明治期のお雇い西洋人が設計した最後の灯台らしく、確かにアドリア海あたりにあってもおかしくないような趣ではありました。

官舎跡はカフェになっており、日本海を望めるカウンター席には司馬さんも座ってカレーライスを食べたようですが、旅吉が訪ねた時は、ちょうど昼時でお客が多く、結局、カフェの外にある展望所から、怖いくらい広大な日本海を堪能しました。

何回もブログで書いてきましたが、こうした広々とした外洋の水平線を見るのが大好きで、なぜか背骨が伸びてきます。ただ心の一角には恐怖感も同居しており、大海に吸い込まれてしまいそうな少し不安定な気持ちにもなるのです。

ちなみに司馬さんは書いていませんでしたが、この灯台から30キロほど沖合では昭和2年、連合艦隊の訓練中、軍艦同士が衝突して沈没する事故が発生。百人以上の兵士がなくなり、「海の八甲田事件」と言われたようです。

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帰路、司馬さん一行がそうしたように旅吉も美保神社に立ち寄りました。かなり辺鄙な場所にある神社なのですが、神話の国出雲らしく、歴史の風格を感じさせる立派な神社でした。前回も載せましたが、再度、境内の写真を一枚。

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伯耆因幡の違い

再び弓ヶ浜半島に戻り、米子方面へ。弓ヶ浜半島砂州なので古来、農地としてはほぼ使いものにならなかった土地でしたが、鳥取藩池田家の時代、水路が作られ、綿栽培が盛んになり、藩の大きな収入になったとか。このあたりについても司馬さんはたっぷりと説明してくれています。

ところでこの本で何度も書かれているのが、米子を中心とする伯耆地域と、鳥取を中心とする因幡地域の風土の違い。お互いに批判し合う様子がいくたびか出てきます。

面積が狭いこともあり鳥取県には市が4つだけ。東から鳥取因幡)、倉吉、米子、境港(以上は伯耆)。でも確かに律令の時代に分けられた地域性を感じました。

米子・境港あたり(伯耆の国の一角)の「賑やかな」雰囲気と、鳥取市一帯(因幡の国の一角)の「しっとりとした」雰囲気。

人口は(平成の大合併以来、人口比較は意味のないものになりましたが)、米子が14万人、鳥取が18万人。でもなんと言いますか、米子の方が派手な空気があったような気がします。隣接して島根県松江市出雲市が控えている、という意識が旅吉にあるせいかもしれません。

今回の旅では山陰地方から若狭地方まで走りましたが、やはり最も活発な空気に包まれているのは出雲〜米子でした。それを証明するかのように、この区間だけ海沿いを走る高速道路(山陰道山陰近畿自動車道など)が有料。あとの区間は(つながっていない部分も結構ありましたが)無料でした。この無料高速にはずいぶん助けられました。

米子では皆生温泉に入りました。4年前に行った時と同じ温泉施設。まぁまぁでした。山陰の温泉は柔らかくて悪くないものの、どうしても九州のようなインパクトの強さがありません。あちこちに温泉施設が点在していますが、比較的規模が小さく、ダイナミックスさに欠けるというか。

ちなみに3年前の山陰旅行を思い出しながら書いた記事はこちら。ブログを書き始めてまもない頃に書いた記事。この頃は漫然と書かずに、毎回しっかりとテーマを絞り込んでいたな、とつくづく感じています。

noaema1963.hatenablog.com

そして倉吉へ。司馬さんは「伯耆国は全て大山の裾野にある」といった感じの表現をされていましたが、その通りだと思いました。米子からなだらかな裾野を回り込む感じで進むと、海岸から10キロほど内陸の倉吉に到着しました。

寅さんが歩いてそうな町

男はつらいよ」の第44作「寅次郎の告白」のロケ地になった場所。満男のガールフレンド泉ちゃんが家出してやってきた町がこの倉吉でした。

守護大名山名氏の城があった打吹山の北側に、古い町並みが広がっています。国の重要伝統的建造物群保存地区(何回書いても間違いそうな単語)に指定されており、通称は「白壁土蔵群」。山陰ならではの石州瓦と白壁のコントラストが美しい町並みです。

全国の保存地区をたくさん見てきた旅吉ですが、この倉吉の町並みはかなり高い位置にランクインしました。日田市(大分県)と同じレベル。町全体が静かで、山田洋次監督が最も好みそうな「寅さんが歩いてそうな町」なのです。

ただ司馬さんは「街道をゆく」の中で、久しぶりに訪れた倉吉(保存地区ではない地域)について「古格なたたずまいが消え失せた」と嘆き、保存地区についても「確かに古い街並みは残されている。しかし幹線のほこりっぽさを車体につけた車が押し込んでくるために、せっかくの町並みがうらぶれて見えた」とこぼしています。

司馬さんがこの本を書いたのは昭和の終わりにあたる1985年。バブル期を目前に控え、今とは違う「荒っぽさ」が全国各地にあふれていたのかもしれません。f:id:noaema1963:20220506180521j:image
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この日は倉吉郊外の三朝温泉に入りたかったのですが、どこの宿泊施設に電話しても「今日は日帰り入浴はお断りしています」。GWなので仕方ありません。30分ほど電話かけまくった末、諦めました。

鳥取といえば国宝投入堂

翌朝、以前から行きたかった国宝投入堂を目指します。鳥取といえば投入堂

この日も早朝6時から行動を開始したので、三朝温泉から山道を10キロほど分け入った投入堂の駐車場に着いたのは7時前でした。

「駐車場から10分も歩けば行き着くだろう」と気軽に考えて受付に行ったのですが、かなり甘い考えであることが判明。説明板によると、受付から険しい山道を1時間近く歩かねばならず、それなりの山歩きの装備を呼び掛けています。おまけに「危険なので一人での入山は禁止」だとか。それも入山は「朝8時から」。

受付あたりを掃除していた関係者の方に「どうにかなりませんか」と交渉するも、「山道で怪我をする人が多いので、警察から指導されているんですよ」と気の毒そうに言われ、泣く泣く諦めました。どうも前夜の三朝温泉以来、運気が低迷。

仕方なく、駐車場近くの遥拝所から遠目に見るにとどめました。

天気が良かったので、意外とクリアに見ることができました。
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気を取り直し、旅吉は一路、因幡の国へと続く峠を目指します。
長くなるので次の回へ。